ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

与えよ、さらば奪われん 「白痴」

 

ルカの福音書 第6章に、
「与えよ、さらば与えられん」
という言葉がある。

まず相手に与える。すると、与えたものは自ずと姿を変えてあなたに戻ってくる。ただし、このときあなたは決して見返りを求めて行動してはならない。無償の愛こそがあなた自身の救いとなる。日本の格言で言えば、「情けは人の為ならず」といったところか。

 

与えよ、さらば与えられん。
これはたしかに真理だ。

 

相手を尊敬しないものは相手から尊敬されないし、相手を愛せないものは相手からも愛されない。

 

白痴にはさまざまなキャラクターが出てくるが、基本的には主人公であるムイシキン公爵と、それ以外の人間に分けられると感じた。

 

狐はたくさんのことを知っているが、ハリネズミは大きなことを一つだけ知っている。(古代ギリシャの詩人 アルキロコス

 

ハリネズミはムイシキンを象徴するのだとドストエフスキーの研究者は語る。では、ムイシキンの知る大きなひとつだけのこととは一体何か?

それは「与える」ことではないだろうか。与えることを知るムイシキンが、奪うことしか知らぬ者たちの中に入った時、キリストの如きこの若き聖者は如何なる運命を辿るのだろうか?

 

以下、結末まで語ったネタバレを含みます。

 

白痴1 (光文社古典新訳文庫)

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「世界の敵」と人類の重大な脆弱性について アンダーグラウンド

 

霊長類の脳の大きさと、群れの数には相関関係があると言われている。
オマキザルの一種「タマリン」という小さなサルでは5個体、ニホンザルなどが含まれる体の大きな「マカク属」では40個体。
なぜ霊長類が群れを形成するかといえば、単純にそのほうが生存確率が上がるからだ。外敵の脅威を察知するにも、より大きな獲物を狙うときにも群れの数が多ければ助けになる。

 

では、人間ではどうだろう?人類の脳からはじき出される「群れ」の数はどうか?イギリスの人類学者、ロビン・ダンバーは約150人であると規定している。これを、提唱者にちなんで、ダンバー数と呼ぶ。

 

我々現代人は外敵に襲われる心配もないし、徒党を組んでマンモスを狩猟に出かける必要もない。にもかかわらず、おおよそ150人程度のグループを組む。学校の一学年もその程度だし、人数の大きな会社の部はだいたいそのくらいの人数で構成されているように思う。こうしてみるとこの数字にある程度の妥当性があるように感じるのではないだろうか?

 

ダンバーによれば、150人というのは人間の脳がリアルに知覚し、個体を識別できる限界の数なのだそうだ。それ以上周りに人間が増えると、人間の脳はその違いを知覚することができない。
約150人。マンモスを追いかけ、木の実を採集していた時代ならともかく、現代社会ではいささか心もとない数字だ。日本の人口は1億四千万人。世界人口は七十億。人間の知覚をはるかに超えているし、殆どが群れの外側にいる人間、ということになる。

 

だとするならば、人間にとって、自分の群れの外にいる人間はどう見えるのだろうか?普段一緒に過ごす家族や、職場の人間。友人、趣味の仲間、あるいは同じ学校に通うクラスメート。そういった「群れ」の内側に対して、外側にいる人達のことを、我々はどう認識しているのだろう?


おそらく、自分の群れの外にいる人間は、「記号」になってしまうのではないかと思う。日本人にとっての外国人。男性にとっての女性。大人にとっての子供。アーリア人にとってのユダヤ人。そして、オウム真理教信者にとっての異教徒。

村上春樹はこのインタビュー集を、オウム関係者ではなく、地下鉄サリン事件の被害者から始めた。まえがきにはこう書かれている。

私はできることならその固定された図式を外したいと思った 。その朝地下鉄に乗っていた一人一人の乗客にはちゃんと顔があり、生活があり、人生があり、家族があり、喜びがあり、トラブルがあり、ドラマがあり、矛盾やジレンマがあり、それらを総合した形での 物語があったはずなのだから 。ないわけがないのだ。それはつまりあなたでありまた私でもあるのだから。

神奈川の自宅に戻っていた村上春樹は、ニュースで事件のことを知った。彼はもっと多くのことを知りたいと思ったが、ニュース報道に出てくるのは皆、顔のない被害者だった。
彼はニュースでこのような印象を受けた。オウム真理教は理解できない絶対悪で、被害者は善なる存在である、と。報道では単純な図式化、記号化がなされていた。

 

でも、立場を変えてみれば、オウム真理教の教団関係者たちにとっては日本の行政の中心である霞ヶ関が「世界の敵」という記号を与えられた存在だったのであろう。記号化された対象に対して、人はどこまでも冷徹になることができる。それは、第二次世界大戦時のホロコーストでも明らかだ。
たしかに記号は複雑な概念を考えるときに不可欠な存在である。記号、それ自体がなければ我々の知性は痩せて、枯れてしまうだろう。しかし、我々は記号だけを信じてよいものなのか。

 

アンダーグラウンド (講談社文庫)

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部屋に象がいる 『細雪』

英語にこんな慣用句がある。

There is an elephant in the room.

直訳すれば、この部屋には象がいる、となるのだが、なんとも奇妙な言い回しだ。部屋に象などいるはずもないし、象のような巨大な生き物が部屋にいれば誰もが気がつくことだろう。
この言葉の真意は『いまこの場所には誰もが気がついてはいるものの、決して話題に上げることの許されない、タブーがある』ということだ。

細雪は昭和初期における日本のアッパーミドル階級の嫁入りに関する物語だ。彼女たちのセリフは品格のある船場言葉が用いられる。血を分けた姉妹でありながら決して面と向かって本音を言わない。つまり、それぞれの立場上話題にできない数限りない『象』が出てくる。
『象』は始めは小さな存在だったが、次第に大きくなっていく。ふと気がついたときには、姉妹たちはこの大きな象のために分断され、彼女たちの関係性は完全に損なわれている。

物語は1941年4月26日で終わるが、折しもその年の年末に英米を相手にとった太平洋戦争が始まり、日本軍の敗色は濃厚になっていく。

果たして、象を作る人たちは外から見えるほど華やかで高貴な存在なのだろうか?

以下、ネタバレを含みます。

 

細雪 全

細雪 全

 

 

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