ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

その壁は何を意味し、何のためにあるのか? 「街とその不確かな壁」

 前回の長編小説である「騎士団長殺し」から6年ぶりに出た新作長編がこの「街とその不確かな壁」だ。「騎士団長殺し」でも感じたことだが、この作品は新作であると同時に集大成的な意味合いの強い作品だと思う。(騎士団長殺しのレビューはこちら

 著者のあとがきにも書いてあるが、この小説は自分の作品のリメイク、セルフリメイクだ。初回が1980年に発行された「街と、その不確かな壁」。文芸誌には収録されたものの、村上春樹自身がこの作品を失敗作だとして刊行していない。それをリメイクしたのが、1985年に発行された「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。そして2023年、著者が74歳現在で出版されたのがこの新作「街とその不確かな壁」だ。この三作品をすべて読んだことがある。話は違うが同じモチーフに挑戦した作品という印象だ。なぜそんなことをしたのかといえば、おそらく著者にとってこの「壁に囲まれた静かな街で夢読みとして図書館で過ごす」というモチーフが非常に重要な意味を持つからだろう。

 

 街をぐるりと囲む壁、その壁とはいったい何を意味し、何のためにあるのだろう?

 

続きを読む

ごはんを作ったのはだれか?「おいしいごはんが食べられますように」から見る若手作家のジェンダー表現について

欧米圏で仕事をしているとけっこう困るのがメールを送る相手が女性なのか男性なのか意識しなければならないことだ。つまり英文ならMrを付けるか、Msを付けるか。ドイツ語ならHerrをつけるかFrauをつけるか。間違ってしまうと失礼だし、かなり面倒くさい。

 

加えてドイツ語にはあの初心者泣かせの悪名高い男性名詞、女性名詞、中性名詞なんていうものがある。例えば犬(Hund)は男性名詞だが、猫(Katze)は女性名詞だ。男性名詞の場合不定冠詞がderになり、女性名詞の場合はdieになり、文章を組み立てる上で非常に面倒くさい。また、医者など多くの職業は男性の場合と女性の場合で呼び方がかわる。(男性はArzt、女性はÄrztin。ちょうどウエイターとウエイトレスのような感じ)

 

男性が発言しているか、女性が発言しているか、それを区別する必要はあるのか?

ビジネスシーンでは特に区別する必要はないだろう。ただし、文学なら話は別だ。なぜなら文学は書いてある文章だけでなく、書かれていない文脈、コンテクスト含めて成立しているからだ。

 

性別に関してわりと鷹揚な日本語で、小説の中でキャラクターがどちらの性別であるか判別する方法はあるのか?もちろん存在する。しかし、「おいしいごはんが食べられますように」ではぼくにとって馴染みのある方法が(おそらくは意図的に)排除されていた。そしてよく思い返してみれば、本作だけでなく、若い世代の作家、それもとりわけ特に若手女性作家の中で見られる傾向であるように感じた。

 

 

 

 

続きを読む

ごはんと一緒にコンテクストを食べて生きている「おいしいごはんが食べられますように」

芥川賞を受賞した本作、タイトルだけ見ると、登場人物がなにかおいしい食べ物を食べるグルメ小説、という印象を受けるかもしれない。はじめはぼくもそう思った。中身を読んでみると半分正解で、半分不正解だった。

 

確かにこの小説には登場人物がなにかを食べるシーンがたくさん出てくる。というか、ほとんど食べるシーンだ。だが、一方でこの小説はグルメ小説ではない。グルメ小説なら登場人物はおいしそうにごはんを食べるはずだが、本作の語り手となる二人のキャラクター押尾と二谷は必ずしも料理をおいしそうに食べない。

 

某漫画に出てくるキャラが、客はラーメンじゃなく、情報を食べている、というセリフを吐くそうだが、言い得て妙な表現だと思う。実際、ラーメンだけでなく、コンビニやスーパーに行っても商品のパッケージには「北海道産」だとか「こだわりの」だとか、あるいは「じっくりコトコト」など、なにかしらの情報で溢れかえっている。

 

料理をおいしくたべるために、情報は必要なのか?目の前にある料理が、かんたんに手に入るものか、それとも希少なものなのか?その違いで味に違いは出るのだろうか?

 

さらに進めれば、それを誰と一緒に食べるか?誰が作ったものか?それをいつ食べるのか?手渡されたときか?みんなと一緒に食べるのか、それとも後で一人で食べるのか?それによって意味や文脈、つまりコンテクストが変わってくる。

 

この小説を一言で表すなら、ぼくたちは「ごはんと一緒にコンテクストを食べて生きている」だと思った。コンテクストが含まれたごはんをおいしくかんじるか、それともまずく感じるか。あなたはどちらだろうか?

 

続きを読む