ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

グレート・ギャツビーを三回読む男なら俺と友達になれそうだな「騎士団長殺し」

新刊のたびに全国ネットのニュースになり、ノーベル賞のたびに噂され、存命にも関わらず全集が出る。(僕も持ってる)

こんな小説家は僕の知る限り日本では村上春樹だけだ。

そんなわけでもちろん騎士団長殺しには発売前から注目していたし、Amazonで予約して購入し、かなり期待を込めて読んだ。
読みながら僕は思った。
もう村上春樹も68歳なのだ。この作品は彼の「集大成」なのかもしれない、と。

 以下、結末には触れていませんが、一部ネタバレを含みます。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

 

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

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すべての部品が置き換えられたとき、同じ人物といえるのか ゴーストインザシェル

 

テセウスの船というパラドックスがある。
ギリシャ神話のテセウスという英雄がクレタ島から帰還したときの船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれを大昔から保存していた。しかし、当然櫂は使っていれば老朽化する。朽ちて使えなくなった櫂は新たな木材に置き換えられていた。

これが論理的な問題から議論になった。
すなわち、「船の構成部品がすべて新しいものに交換されたとき、それは同じ船といえるのか?」あるいは「置き換えられた古い部品を集めてなんとか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのか?」

という議論だ。

ゴーストインザシェルの世界では身体を義体と呼ばれる機械に置き換え、脳をその機械の中に入れる。
脳には記憶を司る海馬があり、中脳には呼吸や運動と言った動作を司る場所がある。視覚や聴覚といった五感からの情報を分析、思考、判断し、行動というアウトプットを行う。その中枢になっているのが脳だ。
身体こそ違えど、記憶と人格を受け継いだその存在は、たしかに自己同一性があると言えそうだ。しかし、例えばその記憶が何者かに捏造されていたとしたらどうだろうか?まったく別の人間の記憶が埋め込まれていたとしたら、その人間は果たして義体化されるまえと同じ人間だと言えるだろうか?

 

 

以下、ネタバレを含みます。

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また日本が誤解されてしまう 映画「夜は短し歩けよ乙女」感想

 

話題になったドラマ「タラレバ娘」のように、最近ではこじらせてるものと言えばもっぱら女子のほうが俎上に上がるけれど、もちろん男子のほうだって負けていない。

映画、夜は短し歩けよ乙女は、主人公が成長するわけでもなく、困難に立ち向かうわけでもない。厳しいトレーニングの末にチャンピオンからメダルを奪取するわけでなければ、宇宙人の襲来から地球を守るわけでもない。
普通の大学生が思いを寄せる少女に声をかけられず、ストーカーよろしく彼女「黒髪の乙女」を付け回し、偶然を装って「な」るべく、「か」のじょの、「め」にとまるように行動している。
主人公の「先輩」はその頭文字を取った「ナカメ作戦」なるものを決行している。もちろん堂々と声をかけたりはしない。なぜなら傷つくのが怖いからだ。「先輩」はまさに絵に書いたように冴えない。

森見登美彦原作の同名小説を鬼才湯浅政明がアニメ映画化した。四畳半神話大系と引き続き、キャラクターデザインは中村佑介、主題歌はアジアンカンフージェネレーションとくれば、見ないわけにはいかない。斬新なデザインと色使い、近年の美麗なだけのイラストとは一味違う癖の強い絵柄、キャラクター、世界観。
日本の古都、京都を舞台に誰も見たことのないアニメ映像に仕立て上げた本作に喝采したい。やたらとパンツを奪われる「先輩」、願掛けのためにパンツを脱がない「パンツ総番長」、女装癖のある「学園祭事務局長」など、「四畳半」メンバーがまたしても世界にむけて奇妙な日本像を打ち出し、外国人を誤解させてしまった。いいぞもっとやれ。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 

 

 

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