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ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

ストーリー至上主義ここに極まれり 「ベイマックス」感想

ベイマックス オリジナル・サウンドトラック (初回生産限定)

ディズニーピクサーのベイマックスを観てきましたので、その感想を。
政治的正しさがあるためにこの作品が面白いのだという意見もありますが、むしろストーリーを面白くしようと思ってブラッシュアップしていった結果、政治的な正しさを獲得したのかもしれないと僕は思います。

 

 

政治的な正しさというものは、誰かを差別したり、ヘイトスピーチの対象にしたりすることなく自分の主張を述べる(=作品を描く)、ということかと思います。漫画のワンピースで、作者のミソジニーっぽい表現や、ゲイ差別とも取れる描写があったことに端を発して、「誰も傷つけないように配慮していたら面白いものなんか書けない」という主義を展開する人と、「空前の発行部数を誇る漫画だし、子どもに目が届いた時の影響を考えると、自粛してほしい」という主義を展開する人の2つに別れていますね。

その最もクレバーな答えが、ディズニーピクサーの「ベイマックス」なのかもしれません。誰も傷つけずにあれだけの面白い世界を作っています。しかし、誰も傷つけていない、政治的に正しい表現を選択しているからベイマックスが面白いのか、といったらそうではなく、面白いものを追求していった結果、誰も傷つけないものになったのではないかと僕は思うのです。

思ったよりアメコミしていたベイマックス

事前情報でアメコミが原作だと聞いていましたので、見てみるとかなり中身もアメコミしている感じでした。スパイダーマンだとか、スーパーマンだとか、あのあたりのスーパーヒーローノリの展開です。
天才少年ヒロの発明したガジェットを巡って、天才科学者や悪の巨大企業と戦うっていう展開はまさにスパイダーマン的です。

では、この映画が男の子向きなのか?というと、そうは思いません。たぶん、女の子が見ても面白いんじゃないかと思います。アナと雪の女王は、男の僕が見ても面白かったし。
うまく言えないですが、それはこの話が原始的な欲求や葛藤を含むものだからじゃないかと思います。

目指しているのは誰が見ても面白いもの

誰が見ても面白い、というのは実はすごく難しいことです。例えば10歳〜16歳の男の子向け、とか、5歳〜10歳の女の子向け、とかレーティングを決めたほうがマーケティングはしやすい。
時代劇を見て喜ぶ女子高生も、アメトーーークを見て大笑いする年配の方も、ちょっと想像しづらいですね。(いるかもしれないけど、少数派だと思います)
時代劇の良さは、大団円が約束されているということです。結末は絶対に同じ、予定調和です。だからこそご年配の方にウケている。

アメトーーークの場合は、『内輪感』かと思います。ある趣味に関して熱く語る「俺らは仲間だよな」的な連帯感が若い世代にウケているのだと思います。
ではレーティングがしっかりしていないと売れないのか?少なくともストーリーテリングの場合には、それは作り手側の先入観かもしれません。

問題の本質をメタ化できれば原始的な面白さに昇華できる

ベイマックスを始めとするディズニーピクサーの映画は、「内輪感」がありません。徹底的に線を引かない。例えば「すべての女は〜だから〜だ」のような主語の大きい主張をしません。その時点で男女の間に線を引き、どちらかを味方、どちらかを敵にすることになるからです。批判のやり玉にあげられるジェンダーの人は、不快感を抱くことになるでしょう。
(アメトーーークがダメだと言ってるわけじゃないです。念のため…)
では、ディズニーピクサーの映画が面白いのは、線を引かないように注意深くストーリーを作っているから、なのでしょうか?僕はそうではなく、問題の本質をメタ化して誰にでも当てはまるところまで昇華させていっているからだと思います。

ベイマックスのテーマは「弱者に対する慈しみ」

例えば、ベイマックスのメインテーマは、「強力な力を手に入れた者はどう行動すべきか?」だと思って観ました。これは、実にアメコミのヒーロー的な悩みでもあります。ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)で、弱いものを助けるために力を使うべきだ、という答えになるものが多いですね。しかし、当然のことながら一般の人はそんなに有り余る程の力を持っていません。手から糸も出ないし、空も飛べないし、バッドモービルを開発する資金もありません。
ベイマックスはこの問題をどうやってメタ化したか?

先に答えを言うと、『弱い者いじめをしない』というところまでメタ化したのです。(自分よりも弱い者、というのはどんな人にも存在すると思います)
ベイマックスはもともと兄タダシが介護用ロボットとして開発しました。しかし、タダシは死に、その死の真相に迫るために弟のヒロが戦闘用にベイマックスをチューニングしました。
その結果、(この辺りの設定がニクイのですが)ベイマックスの心臓部とも言えるAIにはタダシの優しさを与えるディスクと、ヒロの強さを与えるディスクの両方が組み込まれることになりました。
兄の仇とも言える敵を追い詰めた結果、ヒロは敵に激しい憎悪を感じ、ベイマックスに敵を殺すことを命じます。しかし、ベイマックスの優しさの本質とも言えるタダシのディスクが邪魔をして敵を殺すことをベイマックスが拒みます。そこでヒロはタダシのディスクを外し、強さのみをベイマックスに与えて敵を追い詰めます。その時の描写は過剰とも言えるほどベイマックスの強さ、敵の哀れさを協調するものでした。このシーンのお陰で先の「強力な力を手に入れたものはどう行動すべきか?』の答えが決まるのです。

自分よりも弱いものをどのように接するか。
憎悪を持って裁くよりも、許すほうが高貴な行為です。ここまで葛藤をメタ化できているからこそ面白い。物語に破綻がないこと、各キャラクターの行動に矛盾が生じないことを徹底的に検証しているからこそ面白いのだと思いました。
これが、すごい力を手に入れたのだから、街の平和を守ろう!とはならないところにディズニーピクサーの手腕があります。

より原始的な欲求に根ざしたストーリーにしたこと、つまりは『面白いものにしたい』というクリエーターの思いが、政治的正しさを生んだのではないかと思います。

とにかく面白い映画ですので、ぜひ。