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ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ ちいさな王子 考察

 

ちいさな王子 (光文社古典新訳文庫)

ちいさな王子 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 ちいさな王子、あるいは、星の王子さま

 パリで空港の名前にもなっているサン=テグジュペリの代表作であるこの本は多くの翻訳版が出ていて、日本でも広く読まれています。読書会の課題本だったこともあり、久しぶりにこの本を読み直しました。

 

 ちいさな王子が出版されたのは1943年。第二次世界大戦でパリがナチスドイツに占領されていたさなかです。サン=テグジュペリはパリから遠く離れたニューヨークにいて、飢えと寒さに苦しんでいる年上の友達レオン・ヴェルトのことを思いながらこの本を書きました。

 

 ゲシュタポレジスタンスが夜と霧のなかで暗躍する第二次世界大戦の時代から70年後の現代、イスラム国のテロがパリを悲しみに包み込みました。

 

 70年前と今では、何が違って何が変わらないのでしょうか。

 

 小さな王子は3つの世界から成立しているように感じました。

 一つ目の世界は、子どもの世界、そして、二つ目は大人たちの世界。

 子どもの世界は感情に寄り添う世界です。子どもにとっては具体的な数字よりも、どう感じたかが重要なことです。ボアの絵を書いて表現したかったのは、ボアといういきものの恐ろしさです。さびしくなったら夕日を見たくなるし、花の香りをかげば幸せな気分になる。王子は言います。「わかるでしょ?」

 その世界は共感の世界なのです。全ては守られている。子どもは弱くても構わないし、子どもの世界に死はありません。永遠に生きるかのように世界は守られているのです。まるで、ガラスのついたてで守られていた花のように。

 

 花との間がこじれてしまった王子がめぐったのは、大人の世界。
 大人たちは守るべき何かのためにいつも汲々としています。王様は自分以外の人間を家来だと言い、自惚れ屋は自分以外の人間は自分のファンだと思っています。ビジネスマンは星を所有するために絶えず星の数を数えています。彼らが守りたいのは己はかくあるべきという自意識です。なぜそれを守ろうとするのか。ビジネスマンは言います。私は「まじめ」だから。

でも、彼らは本当の意味で自分の心から出た自発的な感情に従っているのでしょうか?僕には与えられた職務をこなすために、感情をないがしろにしているように見えました。

 

 彼らが他者に共感することはありません。だから「子ども」は「大人」を軽蔑するのです。

 

 他者への共感をせず、与えられた職務だけを粛々とこなす。この最たるものは戦争であり、テロ行為であると考えます。ハンナ・アーレントイェルサレムのアイヒマンを見て感じたように、職務を全うするために人間性すら犠牲にする「まじめ」な男が悪の限りを尽くしたのです。

 

 では、王子はいつまでも子どものままでいいのでしょうか?

 彼はきつねとの出会いを通して、三つ目の世界を見つけることになります。なつかせたものに対する責任を持つ世界。それがこの本における新しい価値感です。

 

 守られていた世界から、自分がなつかせたものに対して責任を果たす世界へ。無垢の象徴だった王子は、もう元の王子ではなくなります。責任を負う以上、弱いままでいることは許されないのです。強くあらねばならない。この身体は遠くへ行くには重すぎる。王子は変革を自ら選びとります。

 主人公は王子と別れることになりました。主人公の前から消えた王子は遠くに行きます。王子との出会いを通して、なつかせたものに対して責任を負うことになったのは、実のところ、王子ではなく主人公なのではないでしょうか。王子が主人公の無垢さ、弱さの象徴であるならば、それは今や遠く離れていくのです。

 

 さよならを言うことは少しだけ死ぬこと。

 王子をいたわり、王子と一緒に涙を流した主人公は、王子がいなくなったことで死にました。古い価値観は遠く離れて、手元には新しい世界が残ります。でも、悲しく思うことはない。王子は言います。空の5億の星を見れば、王子を思い出すことができる。きつねが黄金の麦を見て王子を思い出すように。

 

 ネットで、8才の息子を持つ父親が

「どうしてフランスで死んだ人は多勢の人に悲しまれるのに、ラジコンで殺された人は誰にも悲しまれないの?」と言われてうまく子どもを納得させることができなかったという記事を読みました。

 

 他者を思いやる人間性を保ちながら、友達に対する責任も同時に果たす。自由と引き換えに僕たち大人が手に入れたものは、とんでもない離れ業を要求しています。この世界を人間らしく生き抜くためには強くあらねばならない。本来大人になるということは、そういうことなのかもしれません。