ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

コンビニ人間は交換可能人間

 コンビニに期待することってなんだろうか?

 喉の渇きを癒やすコーラが売っていること?空腹を満たすおにぎりが売ってること?ATMでお金をおろせること?

 コンビニに要求されることは、大抵の場合どのコンビニに入っても満たされる。セブンイレブンがなかったら、たぶんローソンでもいい。ましてや、セブンイレブン◯◯店じゃないとダメだ、なんてことは、ほとんど無いだろう。

 ひとつのコンビニが始めたサービスは、他のコンビニも追従する。全国展開しているコンビニは、均質なサービスを提供するためにマニュアルを整備する。コンビニはいつでも、どこでも交換可能な存在だ。じゃあ、「コンビニ人間」は?

 2016年の芥川賞を受賞した「コンビニ人間」は、すなわち、「交換可能人間」のことだ。彼女を笑ってる場合じゃないかもしれない。なぜなら、僕達もいつの間にか「交換可能人間」になっているかもしれないのだから。 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

 

 主人公は古倉恵子36歳。独身、彼氏なし。生涯で一度も男性経験がなく、18年間同じコンビニエンスストアのアルバイトを続けている。コンビニのために睡眠をとり、コンビニの水と食料を食べて、コンビニの部品の一部になりたいとすら考えている。
 幼い頃の彼女は、喧嘩を止めるためにスコップで男の子の頭を叩いたり、小鳥の死骸を母親の元に持って行って、「お父さんの為に焼き鳥にしよう」と言ったり、突飛な行動をして周りを驚かせる。そのたびに職員会議にかけられ、母親や妹に泣かれるうちに彼女は自分は異常な人間だと信じ、本音を隠すようになる。
 目立たぬよう、誰の目にも止まらないように生きてきた彼女が、唯一誰かに必要とされる場所、それがコンビニエンスストアだった。
 彼女の言葉を借りれば、バイトとして仕事に就いたその日から「コンビニの店員」という生き物に生まれ変わったのだ。
 
 彼女はマニュアルさえあればそれを徹底的にこなすことで、『普通の人たち』から普通に見えるようになったと思っている。彼女には異性に対する興味はなく、おそらく性欲も性に関する興味もない。彼女の頭にあるのは、コンビニ。ただそれだけだ。彼女は本気でコンビニの歯車の一つに、部品になろうとしている。部品の行き着くところの意味はすなわち、『交換可能』であることだ。

 だからこそ、周りから恋愛経験がないことを心配されても、誰か紹介してあげると言われても、ただ迷惑としか感じていない。『普通の人』は善意の仮面を被って、自分のフィールドに土足で入り込んでくる。普段感情を露わにしない彼女にしては、そのときに限っては強い嫌悪感を他者に示す。

 

 僕もそういうおせっかいは鬱陶しいと思うこともある。だけれど、心配してくれる彼らの善意も分かる。
 仕事をいくら頑張ったとしても、代わりはいくらでもいる。例え創業者であったとしても、会社の規模がある程度大きければ一人突然いなくなったところで誰かがカバーして周っていくし、そうするのが健全な会社であるとされている。つまり、僕達現代の社会人は、こと仕事においては『替りがきく』存在なのだ。
 しかし、『普通の人間』はそれに耐えることができない。火花でも書いたけれど、『集団の中の何者でもない自分』と、『替わりのいないかけがいのない自分』が僕達大人には必要なのだ。
 恋愛や家庭を作ることは多くの人にとって『替わりのいないかけがえの無い自分』を発見する作業だ。仕事では替りはいるが、プライベートでは替りはありえない。『普通の人間』にとってそれは生きる上で不可欠だからこそ、他人もそうだと考える。だから彼らは家族を持てと言うのだ。

 一方で、現代社会での労働は、代替可能な人材を要求する。コンビニで言うなら、可もなく不可もないアルバイト。挨拶ができて、品出しができて、レジ打ちができる普通のアルバイトを要求する。コンビニだけでなく一般企業であってもそれは変わらない。TOEIC何点以上で英語が話せて、コミュニケーション能力があって、コンピュータ言語を習得していて、というのは他の部品と交換可能であることを示している。海と山どっちが好きか?好きな音楽は何か?そういうことは就職選考に際して重きを置かれない。

 彼女のように、ただ会社の部品になりたい、と自分で努力する人間ならまだ無害だが、会社の部品のようになるべきだと他者に要求するようになった場合に悲劇は始まる。
 同じ時給で働いているのならば、できる人に合わせて比較されることになるし、会社は働かせるためのシステムを内包しているので、より厳しい要求を労働者につきつけるようになる。
 トルクレンチを知ってるだろうか?絞める強さ、「トルク」を設定すると、設定した「トルク」のぶんだけ締め付ける方向にしか回らないレンチだ。
 主人公は、『時給の中には、健康な状態で店に向かうという自己管理に対するお金も含まれてる』と当時の店長に言われて以来、それを忠実に守っているし、今の店長はバイトに対して「使える」という言葉をよく使うので、自分が使えるか使えないか考えてしまう。これまでに18年間で8回変わった店長の中で一番厳しい教え、一番強いトルク設定を忠実に守り、キリキリとネジを絞め、決して緩めない。その姿は、立派というよりも見ていて痛々しい。こうして『かけがえのない自分』を失っていく人間は、きっと少なくないはずだ。

 主人公の古倉恵子は、コンビニで働いていさえすれば幸せだと主張する。しかし、本当にそれが彼女の本当の欲求なのだろうか?
 理由があってバイトを辞めることになった日の描写には悲哀が漂う。

 18年間勤めたというのに、最後はあっさりしたものだった。私の代わりに、レジでは先週から入ったミャンマー人の女の子がバーコードをスキャンしている。横目で防犯カメラの映像を見ながら、もう、自分がここに映ることはないんだろうな、と思っていた。

 誰かに必要とされたい。それが彼女の本当の欲求だと僕は感じた。
 それなのに、『かけがえのない自分』を日々ないがしろにし続けるから彼女は孤独から逃れることができない。なぜなら、人は『交換可能な人間』とは信頼関係を築くことができないからだ。年収600万円以上の30代男性を愛することはできないし、身長160センチ47キロでFカップの20代女性を愛することはできない。この世界で息をして、何に喜びを見出し、何に嘆き悲しむか、その感情を共有できる相手としか信頼関係を築くことはできない。なぜなら、愛とは交換不可能なものであり、交換不可能なものが愛だからだ。

 彼女に対して口うるさく干渉してくる『普通の人間』は、彼女のそんな危うさを放っておくことができないのだろう。本当は彼女と信頼関係を結びたいし、『かけがえのない自分』をないがしろにする彼女のことを放っておくことができないのだと思う。