アメリカという名の病 グレートギャツビー
ドナルド・トランプが45代目のアメリカ合衆国大統領選を制したこの年の11月に、グレート・ギャツビーを読みなおす機会を持てたのは個人的にはとても感慨深い。
彼の公約の一つに、「強いアメリカ」を取り戻すというのがあるそうだ。
いつの時代の、どんなアメリカが「強いアメリカ」なのか僕にはピンとこない。昔は良かったというならば、今はダメなのか?昔と今はどこが違うのか?
1984年生まれの僕から見れば、アメリカは常に世界経済のトップを独走して来た印象だ。Appleやgoogle、Amazon、IBM、枚挙に暇がないがないほどの世界的な大企業に恵まれている。
僕が子供の頃、アメリカは世界の警察という役割を自ら進んで引き受けていた。米軍基地を防衛の要所に設置し、不穏な空気がないかを見張る力強い父親的な存在だ。僕の連想する「強いアメリカ」は「世界の警察」であり、パターナリズムの権化としてのアメリカだった。
しかし、トランプはむしろ米軍基地の縮小も視野に入れているという。これはダブルスタンダードに感じられて、とても不思議だった。
そんな中で添付のインタビューを記事と、それからグレート・ギャッツビーを読んで、気がついた。アメリカは、アメリカという名の病にかかっているのだ。
- 作者: スコットフィッツジェラルド,Francis Scott Fitzgerald,村上春樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/11
- メディア: 単行本
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グレート・ギャツビーを読むのは三回目だ。
一度目はジェイ・ギャツビーとニック・キャラウェイの友情の美しさ、二度目はジェイ・ギャツビーのデイジー・ブキャナンに対する純愛に注意が引かれたけれど、今回読み直したときに強く印象に残ったのはむしろトム・ブキャナンと、彼の生き方のスタイル。そしてジェイ・ギャツビーとの対立のほうだった。
以下にトム・ブキャナンの初登場時の描写を引用する。
トムは大学時代とは違っていた。今では肉づきのいい、麦藁色の髪をした三十男になり、口もとはどことなく厳しく、態度は見るからに偉そうだった。傲慢な光を宿した二つの目が、彼の顔の中ではまず人の注意をひく。目にはいつも、何かを狙って前のめりになっているような印象があった。(中略)薄い上着の下で肩が動くとき、巨大な筋肉の塊りが移動するのが見て取れた。梃子のように強大な力をふるうことのできる身体だった。容赦を知らぬ肉体だ。
村上春樹訳
トムは、大学時代を優秀なポロ選手として過ごし、それをピークとして優れた家柄、潤沢な財産、剛健な肉体を持ちつつもそれらを持て余している。彼は作中では「くすぶっている」ように描かれている。美しい妻デイジーを持ち、熟れた人妻の愛人マートルを囲いつつも、どこか満たされていない。
この人物造形は、現代アメリカを表現しているようで興味深い。堅調な経済成長を遂げ、世界に通用するブランド力を持ち、世界最強の軍隊を持ちつつも、過去の『古き良き時代』に引きづられている。
しかし、もちろん著者のスコット・フィッツジェラルドは現代のアメリカのことなど知る由もない。グレート・ギャツビーが上梓されたのは1925年のことだ。アメリカは南北戦争の後に奴隷解放宣言が発表され(1862年)、その後、きら星のごとくエジソンやテスラが現れて白熱電球や電話などの現代文明に欠かせない発明がなされ、その時期はアメリカにとって黄金時代と呼ばれる。そして第一次世界大戦を経験する。(1919年)
この経歴はむしろ、優れた家柄(歴史と風格)という後ろ盾を持たず、貧しい幼少期を過ごしたが、類まれな才覚と資質を努力によって高めたことで成り上がったジェイ・ギャツビーの方に近い。ジェイ・ギャツビーに語るべき過去はないが、輝かしい未来ならばそこに開けている。
ここで冒頭に戻る。インタビューで出てきたアメリカの若者が看破したように、「強いアメリカ」とはすなわち、誰もが憧れた概念としての「アメリカ」だ。誤解を恐れずに言うならば、その歴史的な成り立ちから言って、純粋なアメリカ人というのは存在しない。アメリカ人のほとんどはもとを正せば移民であり、当時の移民たちはとりあえず自分たちの祖国の文化をうっちゃって、「アメリカ的」であろうと努めた。少なくとも自発的にそうしたいと思わせるだけの魅力が、「強いアメリカ」にはあったのだろう。
トム・ブキャナンとジェイ・ギャツビーの大きな違いは品格であるように思う。傲岸不遜なトムに対して、ギャツビーは礼儀正しく、品格があるように見えた。しかしながら、ギャツビーは本当の意味で人々からの敬愛を得ることはできなかった。それは、彼の葬儀に出席した人間の数を見れば明らかだ。その原因は、彼の品格がイギリスからの借り物であり、紛い物であったからなのかもしれない。
残念ながら今のアメリカに憧れる者は少ない。移民たちは自国の文化をアメリカに持ち寄って、そのスタイルを崩さないし、自らアメリカ側に寄せようとはしない。
トム・ブキャナンという人物は、スコット・フィッツジェラルドの予言だったのかもしれない。勝つことにこだわり、勝ち方を選ばない者は早晩他者からの敬愛を失う。
移民によって成立しているアメリカは病に侵されてている。ことあるごとに自分が何者であるかを証明しなくてはならない。そうしなければあっという間に求心力を失い、空中分解してしまう。そうした危うさがジェイ・ギャツビーやトム・ブキャナンの、そしてアメリカの持つ病なのかもしれないと感じた。