ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

『選択』と『年齢』

2017年夏。文学誌を開いた僕は、3度目の挑戦が報われなかったことを知って肩を落とした。
今年で33歳になる。一次予選すら通過できなかった文学賞を、それでも今年もまた目指すことになるだろう。
小説のネタになるような構想はある。10年勤めた会社だ。抜き方もわかっているから長編を書くくらいの時間を作り出すことはできる。土日を削り、出勤前の時間を消費し、行きつけのブックカフェに入り浸ってキーボードを叩く生活がまた始まる。
もとはと言えば僕が勝手に始めたことだ。誰にも文句は言えないし、辞めたければさっさとやめればいい。でもときどき少しでもいいから報いが欲しくなるときがある。
今日くらいは自分のために文章を書くのもいいだろう。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 

 

僕がこの挑戦を始めたのは3年前。まだ29歳のときのことだった。


村上春樹は29歳で処女作の「風の歌を聴け」を書いた。1978年4月のセリーグ開幕戦。神宮球場でヤクルトの先頭打者のデイブ・ヒルトンが二塁打を打った瞬間に、村上春樹は「小説が書けるかもしれない」と思ったそうだ。
開幕中、経営していたジャズ喫茶を閉めてから、真夜中のキッチンでビールを飲みながら彼はせっせと小説を書いた。ヤクルトの優勝が決まるか、決まらないかというあたりで、書き上げたのが「風の歌を聴け」だった。
そのときの決断が彼の人生にどう影響を及ぼしたか?それはきっと僕が書くまでもないことだろう。

 

子供の時から、なんとなく30歳というのが一つの節目なのだろうと考えていた。漠然とした小説家へのあこがれはあったけれど、それまで集中的に結末まで書き上げて文学賞に応募したことはなかった。
自分では良い小説のアイデアが浮かんだと思って書き始めたとしても途中で行き詰まってしまう。原稿用紙にして200枚だとか、300枚だとか、そういう量の小説を破綻なく最後まで書き上げる力がなかった。

それに、挫折を味わうのも怖かった。
文学賞に応募してもしも落ちてしまったら、自分には才能がないのだと思い知ることになる。
頭のなかにある話は、いままでに読んだことのないくらい斬新で、ページをめくるのももどかしいくらい起伏に満ち、最後には人生観ががらりとかわってしまうくらいにセンセーショナルだ。
でも、いざキーボードを前にしてそれを外に出そうとして言葉で埋めていくと、印字されるのはどこかで見たようなストーリーに、退屈な展開、その上結末はありきたりで平凡だった。

それならずっと頭の中にとどめておいたほうが、あるいは幸せなのかもしれない。

 

文学賞に挑戦しようと決めた29歳の夏。新卒で入社した会社は8年目になっていて、大きなプロジェクトを任されていたし、当時は4年間付き合った恋人もいた。
仕事は楽しかった。彼女ともうまくいっていた。そのまま結婚して家庭を築き上げる未来だって、もちろんあった。

それまでの僕は、毎日必死で生きてきて、自分の足元しか見ていなかった。
早く仕事を覚えて一人前になりたい、彼女を作って幸せになりたい。
息を切らして汗を流しながらきつい坂道を上がり、ふいに視界がひらけて立ち止まると、突然見通しのよい場所に出たのだと気がついた。良きにつけ悪しきにつけ、30歳というのはどうもそういう節目らしい。
結婚して子どもを作って、毎日同じように仕事に出かける。そこは定年に至るまでの人生がすっかり見通せる、そして今まで来た道もまた見下ろすことができる踊り場のような場所だった。これでいいのか?自問する日々が続いた。

 

そんな日々の中で、ある日僕は何気なく実家の本棚でほこりを被っていた『風の歌を聴け』を読み返してみた。そのなかに主人公の「ぼく」が親友の「鼠」と、ホテルのプールサイドで会話するシーンがある。鼠が「小説を書くことに決めた」宣言し、主人公が「一体どんな小説か?」と尋ねたときの鼠の答えだ。

 

「いい小説さ。自分にとってね。俺はね、自分に才能があるなんて思っちゃいないよ。しかし少くとも、書く度に自分自身が啓発されていくようなものじゃなくちゃ意味がないと思うんだ。そうだろ?」

 

これはおそらくこれを書いていたときの村上春樹自身の考えだったのだろうと思う。

 

『書く度に自分自身が啓発される』

 

初めて読んだ中学のころからずっと、その言葉が頭から離れなかった。

そして、今になってその言葉が深く僕の心に突き刺さった。もしかしたら、僕はその言葉に出会うためにまた本棚からこの本を取り出したのかもしれない。人生は時としてそういう偶然が起こる。


書く、というのはいささか限定的に過ぎるだろう。僕は「書く」ということを仕事と置き換えて読んだ。

 

『達成する度に自分自身が啓発される』

 

22歳で入社して以来、僕は自分自身が啓発されるような仕事をしてきただろうか?
22歳の頃の僕と比べて、今の僕は啓発されていると胸を張って言えるだろうか?そして定年までの30年、あるいは40年近く。今の会社にいて、あるいは別の会社に転職したとしてこの先ずっとそういう仕事をしていられるのだろうか。

30歳の節目に、一度でいいから本気で小説を書きたいと心から思った。くすぶっていた火種から情熱が燃え広がった瞬間だった。

 

付き合っていた彼女は僕が小説を書くことを快く思わなかった。
それは彼女が日常的には小説を読まない人間だったからなのかもしれないし、結婚を考えたとき、もしも夫が小説家になって食い詰めたら困ると思ったのかもしれない。

 

結局のところ彼女とはうまくいかなくなった。
彼女と別れてまで小説を書くことにこだわったのが果たして正解だったのか。未だに一次選考すら通らないでいる今日みたいな日は心に迷いが生じることもある。でも結局のところもう一度29歳になったとしても、僕は同じ決断をしただろうと思う。そこに選択の余地はなかった。

 

今でも選択を誤ったとは思っていないし、例え一生報われなかったとしても挑戦しないでくすぶっているほうがずっと辛かっただろう。

 

書く度に自分自身が啓発される。いやしくもそういう小説を書いているという自負だけはある。読んだ者を啓発するほどの力はないにしても、諦めずに書くことを続けていさえすればそれさえもいつかは達成できるんじゃないだろうか?

そういうまったく根拠のない楽観もある。


だから僕はまた筆を取ることになるだろう。
イデアはある。時間もどうにかして作ることができる。あとは情熱さえ死ななければ、何度でも挑戦することができる。誰かに決められた期限なんて存在しないのだから。