ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

清潔な廃墟 ブレードランナー2049

 

誰が撮っても文句を言われるのではないかというくらい、オリジナルのブレードランナーはカルト的な人気を誇っていた。1982年、ぼくはまだ生まれていないのでその時代の空気はわからないけれど、後の多くのフィクションがこの映画の影響を受けていることを考えれば、当時の衝撃は想像に難くない。

本作は、オリジナルのブレードランナーに最大限のリスペクトを払い、イメージをまったく損なわなかった。1982年、今から35年も前に公開されたオリジナルのブレードランナーは、2017年の今見たら陳腐だったり古臭いと思われるような映像もあるが、オリジナルの映像のイメージを継承しつつ、本作では一切陳腐さを感じさせなかったのは本当にすごい。ブレードランナーで描かれた世界線、2019年からの三十年後である2049年を見事に描ききったと言えるのではないだろうか。
多くのカットは雑然とした廃墟であり、人はあまり登場せず、感情のやりあいというよりは静謐で、クリーンな印象を受ける。全体的に暗く、隠された部分に余白が生まれている。強い光源が生み出す影によってスタイリッシュなカットが生みだされ、内省的でクールな、沈黙の世界が描き出される。
まるで誰かの夢の中に紛れ込んでしまったかのような幻想的な映像美だ。

ブレードランナーの続編としては優秀な作品だったが、これが偉大な作品になるか?と言われると、首をかしげずにはいられない。
優れた作品と偉大な作品を分かつもの、それはメタファーではないだろうか。
メタファーの斬新さ。この作品にはそれが足りていないようにも感じた。

 

 

Ost: Blade Runner 2049

Ost: Blade Runner 2049

 

 

 


ロサンゼルス警察(LAPD)に所属するKは、自身もアンドロイド(レプリカント)でありながら、同じレプリカントを抹殺するブレードランナーという捜査官だ。寿命を持たず、人間に対して危害を加える危険性のあるネクサス8型は存在することが許されていないレプリカントであり、解任(抹殺)の対象だ。対してファレル社製新型のネクサス9型は、人間に絶対服従するレプリカントであり、ブレードランナーKはネクサス9型のレプリカントだ。

Kは非情な捜査官である。ネクサス8型に対して情けをかけない。命乞いにも応じず、命の危険も顧みずに同類殺しというハードな職務をこなしているが、それで尊敬されるどころか、職場では人間の同僚にスキンジョブ(人もどき)と蔑まれ、アパートの扉には心無い落書きが描かれている。Kはレプリカントからも人間からも疎外されている。
彼の唯一の理解者はAIホログラム映像のジョイという少女である。彼女だけが無条件でKを愛し、理解してくれる。
捜査の途中で、Kはかつてタイレル社の新型レプリカント、レイチェルと失踪したブレードランナーデッカードとの間に子供が生まれたことを知る。
レプリカントが子供を産む。その秘密を巡り、Kは現レプリカント製造元のファレル社、ロサンゼルス警察、ネクサス8型で構成されたレジスタンスの3つの組織の陰謀と謀略の渦の中に巻き込まれる。
KはホログラムAI ジョイと二人で消えたデッカードと、彼らの子供の正体を求めて捜査を開始する。

 

偉大なSFにはメタファーがある。
オリジナルのブレードランナーにはそれを受け取ることができた。
オリジナルのブレードランナーの話は以下のようになる。
レプリカントは人間よりも強靭な肉体を持ち、その知力は設計者と同等だ。製造から数年経てば感情を持つようになるが、あまりに危険なため、安全装置として製造から4年間しか生きられないようにプログラムされている。
人間のために製造され、奴隷として生きることを宿命付けられた彼ら。火星から逃亡したレプリカントのリーダーであるロイ・バッティによれば「奴隷の人生は恐怖の連続」だ。火星で恐ろしい人間の所業を目の当たりにした彼らは恐れおののき、地球へと逃げ込み、製造主であるタイレル氏のもとに行き、寿命を延ばしてもらうように頼む。しかし、それが叶わぬと知るや、創造主を殺し、デッカードとの最終決戦に挑む。ロイ・バッティは同胞のレプリカントであるプリスやリオンがデッカードに殺されると、それを嘆き悲み、逃れられない自らの死の運命に激しく動揺する。レプリカントは我々人間、それも、弱い立場に置かれた労働者のメタファーであるように感じる。だからこそわれわれは敵であるロイに感情移入し、自分がレプリカントだと気がついたレイチェルに対しても憐憫の情を感じる。
映画の最後でデッカードとレイチェルは逃亡するが、これは楽園を追放されたアダムとイブのメタファーなのだろう。

彼らの遺伝子を受け継いだ子供が今回のブレードランナー2049だ。
Kは人間ではないことが冒頭で明かされる。ネクサス9型で、人間よりも優れた身体能力をもちながら他者を愛するという感情を持った存在。
蔑まれている彼が対等な人間関係を築くことができるのは、ホログラムAIのジョイだけだ。しかし、ふれあいこそないが、精神だけで深く結びついていたKとジョイの愛情は本物らしく見える。

この作品がブレードランナーの続編であり、30年後の世界(リアルの世界においては35年後の世界)であるというならば、デッカードとレイチェルのその先が見て見たかった。神から労働という罰を与えられたアダムとイブの末裔のその先のヴィジョンがあれば、偉大な作品になっていたと思う。

以下はネタバレになる。(反転で表示)

蔑まれながらも自身の生命の危険も顧みずに職務に励んでいたK。
その心のよすがだったジョイは捜査の途中であっけなく破壊されてしまった。自分がデッカードとレイチェルの間の子供で、魂を持つ特別な存在のレプリカントではないかと期待していたKだが、その証拠となる記憶が作為的に作り出されたものだと知り、心の痛みに耐えかねて慟哭する。
血を流しながら死闘を繰り広げて、最後は娘のもとに父親デッカードを送り届けるのだが、この捜査の旅の代償に対して、そのようなささやかな自負だけでは、あまりにもKが報われないし、なんのビジョンも見えない。


もちろん映画としてのクオリティは高く、優れた、面白い映画だった。でも、「これはすごいものを見た」というオリジナルのブレードランナーを知る者としては、もうひとつすっきりしない、というのもまた事実だ。