ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

世界はぼくたちの行動でできている 若者をやめて大人を始める

大人っていったいどういう存在なんだろう?
二十歳を越えたら人は自動的に大人になるんだろうか?選挙権が与えられたとき、お酒が飲めるようになったとき、人は若者から大人になるんだろうか?社会的にはそうかもしれないが、なんだか腑に落ちない。
だったら、自分の生活費を自分で稼ぐことができるようになったら大人だろうか?
あるいは、初めての性交渉を経験したら?もしくは結婚し、子どもができたら?

正直に言って、どれもしっくりくるものがない。
二十歳を過ぎて定職についていても子供みたいな人はたくさんいるし、未婚でも大人っぽい人はたくさんいる。

若者をやめて大人を始める、という本を読んで、ふと大人の定義について考えた。
筆者曰く、誰かの世話をする楽しさに目覚めた人が大人なのだそうだ。彼の場合、結婚して子どもができたのが契機となり、若者から大人になったと記されている。

子どもができると人生観が変わる。そう語る人は大勢いる。既婚者の中には口を酸っぱくして独身者に結婚して家庭を持てと言う人もいる。
じゃあ、子どもを持たない限り人は大人にはなれないのだろうか?
そういう意見の人もいるだろう。でも、ぼくはそうは思わない。それは問題の本質ではないと思う。

再び初めの問に戻る。大人って一体どういう存在なんだろう?
それに対するぼくの答えはこうだ。「世界が自分たちの行動でできていると自覚している人。そういう人間こそが大人だ」と。

このエントリーでは、ぼくの転機になった出来事について書こうと思う。
ぼくの転機とは、すなわち、入社2年目で行ったはじめての海外出張だ。

 

 

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

 

 

 

 

人見知りだった若者時代

子供のころのぼくは、どちらかというとシャイで内向的、人見知りな性格だったし、今でも休日は仲間とウェイウェイするよりもカズオイシグロ村上春樹、ジャン=ポール・サルトルや元素図鑑みたいな本を一人でソファで読むほうを好む。遊園地やナイトクラブよりも博物館や美術館のほうが好きだし、刺激的な都会よりも穏やかな自然のほうが好きだ。

高校時代の文理選択は、「よく知らないおじさんにお酌をしたりするのは嫌だ」という理由で理系を選んだ。当時のぼくの貧弱なイメージは文系イコール営業、営業イコール接待、だった。今にして思えばずいぶん消極的で短絡的な動機だ。

そんなぼくも何とか工学系学科の大学を卒業し、工場に納入する機械を製造する会社に設計者として就職した。典型的なおっとり長男で、企業研究?なにそれ美味しいの?くらいの感覚だったぼくは、会社の選び方もわりと適当だった。
理由はシンプルだ。その会社は輸出が売上の過半数を占めており、かつ海外拠点が多いので会社の金で海外にいくチャンスがあるかもしれない、と思ったからだ。内向的で引きこもり気質だが、何故か海外志向だけは強かった。

その目論見はあっさり成就した。入社二年目の春、技術派遣の形で海外のお客さんの工場を回る機会を与えられた。
技術派遣といえば聞こえはいいが、実際は設計責任で出した不良品の交換だ。不良品を出した製品の開発には関わっていないが、対外的な理由から設計が客先に出向くことになり、海外出張要員として若い新人設計者たちが選ばれた。
シンガポールを拠点にしてベトナムインドネシア、マレーシアの四カ国を単独で一ヶ月半で周ることになった。訪ねたお客さんの数はゆうに100社以上。
就職するまでパスポートも持っていなかったのに、いきなり4カ国東南アジアを周る機会を得た。今思えばこれは本当に幸運だった。

右も左もわからない、言葉だってろくに通じない新入社員がハノイジャカルタの空港からその日初めて会ったベトナム人インドネシア人のサービスマンと二人きりで片道何時間もかけてお客の工場を一日に4社も5社も周る。
東南アジアの国を訪れたことがある人は想像できるかもしれない。
都市部はとんでもない渋滞で、あいさつ代わりにクラクションを鳴らす。実際運転してくれたサービスマンもばんばん鳴らしていた。それから自動車よりもスクーターのほうが多い。そのスクーターも二人乗りは当たり前、場合によっては三人乗り、四人乗りで車線を無視して団子状態になっている。日本や他の先進国でSUZUKIと言えば車のメーカーだが、東南アジアの認識ではスクーターのメーカーだ。そのくらいスクーターが多い。街は活気に溢れており、道路や信号機も整備されている。ビルは近代的だが、多くの人々の服装は質素だ。
観光で見られるのはここまでだろう。だが、工場があるのはだいたい郊外だ。街から少し外に出ればアスファルトで舗装された道路はなくなってしまう。サスペンションなど役に立たないくらいの悪路で、ガタガタ揺られてたちどころにお尻が痛くなる。バラック小屋が立ち並び、洗濯物を持ったランニングシャツ姿の日に焼けた女が小さな女の子の手を引きながら川へ向かう。驚いたことに、未だに洗濯機など使わずに川の水で洗濯物を洗っていた。
自動車に乗っていて信号待ちで止まると物売りがバナナやジュースや新聞や、そのほかいろいろなものを売りつけようと窓ガラスの前でこちらを覗き込む。目を合わせずに無視しろ、と言われてぼくは従った。中には年端もいかないような子どもの物売りもいて、いたたまれなくなる。
もちろんホテルに帰っても気を抜くことはできない。滞在していたホテルの前には金属探知機があって、外から帰るたびに武装した警備員の前で全身をスキャンされる。警備員の腰には真っ黒な拳銃があって、ぼくは緊張した。夜は絶対に外出するなと言い含められた。こちらが日本人だとわかると、ナイフで刺されて身ぐるみを剥がされる恐れがあるからだ。もちろん刺されたくないのでぼくはそれに従った。
ぼくはいったいどんな世界に来てしまったのだろうと衝撃を受けた。ナショナルジオグラフィックユニセフジャパンのポスターでしか見たことのない世界が目の前に広がっている。
お客さんの工場でも驚きの連続だった。
ぼくの知っている日本の工場は空調が効き、人々はきっちりとつなぎを着て工具は整理整頓されていた。しかし、目の前の工場は開けっ放した窓から生暖かい空気が入り込み、工場は機械の発する熱気で外よりもずっと蒸している。ゆうに30度は超えているであろう工場内に空調と呼べるものは大型扇風機しかない。接触の悪いラジオからはベトナム語の歌謡曲がとぎれとぎれに流れ、ツナギどころか半裸でタオルを首に巻いた男たちが作業をしている。工場の中も雑然としていて、パレットと呼ばれる金属を乗せる台のうえに商品なのかゴミなのかわからないものが無造作に置かれて溢れ出している。本当にどこになにがあるのかわかっているのか不思議だ。作業しているあいだじゅう、汗が流れて止まらなかったので、ハンカチでしじゅう顔を押さえなくてはならなかった。
便意を催してトイレに行っても、汲み取り式のトイレでトイレットペーパーもない。その代わりに水の張った桶と柄杓がある。これで尻を洗えというのだ。便意などたちどころに消え失せてしまった。

それでも見慣れた自分の会社の機械が工場にあると心が落ち着いた。
大丈夫、いつもどおりの作業をすればいい、と自分に言い聞かせて作業にあたった。実際のところ決められた作業はすぐに終わった。作業自体は新人にも任せることができる程度の簡単なものだったからだ。
でも、ぼくが新人かどうかなど、お客さんにとっては関係がない。彼らから見ればぼくは「日本から来た設計者」であり、さも有能そうに見えるのだろう。ぼくが機械を操作する間、彼らはきらきらした目でぼくの所作を見ている。機械のアップデートが終わり、また仕事ができるようになると彼らはたちどころに笑顔になる。
「なんだかあなたが来てくれてから機械の動作が速くなった気がするよ!」と言ってくれた人さえいる。理屈ではそんなはずはないから、完全に彼の気のせいだ。でもそう言われて悪い気はしない。
作業が終わると彼らは水やよく冷えたコーラなどを振る舞ってくれ、ぼくたちの機械がいかに使いやすく優れているか教えてくれる。彼らはぼくの会社のファンだった。

それまでぼくは自分の設計した機械がお客さんの工場でどうやって使われているのか理解していなかった。遅くまで残業して資料を作ったり、プログラムを組んだりしていたが、それがいったい何の役にたつのか、うまくイメージすることができなかった。しかし、今現実に彼らは高い金を払ってぼくたちの設計した機械を買い、それで利益を出そうとしている。

予定された作業がスムーズに終わるときには問題がなかった。しかし、イレギュラーな不具合が発生したとき、入社2年目のぼくは何の役にもたつことができなかった。実際には配線が外れかかっていただけだったり、ブレーカが落ちていたりしただけだが、それすらも見抜けずに彼らを失望させてしまった。これは悔しかった。
拙い英語で話しても、彼らはぼくの一語一句を聞き逃さないようにしっかりと聞き耳を立ててくれる。日本ではあり得ないことだ。新入社員のぼくの言うことなどまともに聞いてはもらえないし、まだまだOJT中で教えてもらうことがたくさんあった。
ぼくはそれを嬉しく思うのと同時に、その責任の大きさに気がついておののいた。
彼らにとってぼくは新人エンジニアではない、会社の代表であり、あるいはもしかしたら日本人の代表なのだ。
そう、ぼくの一挙手一投足は彼らにとって日本人の一挙手一投足なのだとぼくはそのとき初めて実感した。

 

アンガジュマンが意識を変えた

フランスの哲学者、サルトルが提唱した「アンガジュマン」という概念がある。
フランス語で「拘束」を意味する言葉で、英語だと「エンゲージメント」になる。結婚指輪、「エンゲージリング」のエンゲージだ。エンゲージリングをつけるということは、わたしは既婚である、と立場を「拘束」されることに他ならない。

サルトルの「アンガジュマン」は、辞書を引くと、「社会的現実に対する非中立的態度」とある。なるほど、さっぱりわからない。
もう少し詳しく書くと、こうなるのだと思う。
「そこにただ存在するだけでなんらかの意思を表明する、つまり立場によって意見を「拘束」されることになってしまうのだから、黙っていないで積極的に意思を表明しよう」ということだ。しかし、やはりこの説明だけだとなんのことだか実感できないと思う。


ぼくは哲学の専門家ではないので、解釈が間違っているかもしれないが、ひとつ例え話をしたいと思う。

あなたはイギリスのパブでの2人の日本人と3人のイギリス人の合計6人でビールを飲んでいるとする。2人の日本人は、あなたの上司と同僚であり、3人のイギリス人は現地会社の社員だ。あなた達6人はタフな会議を終えて、夕方ホテルに帰る前に軽く一杯引っ掛けている。
あるときイギリス人の一人が、「日本でこれはどういうことですか?」と日本文化について尋ね、それに対し、あなたの上司がいささか偏った意見を言ったとしよう。

上司の意見は、一概に間違いではないが、彼の意見を鵜呑みにするとイギリス人たちは日本人や日本文化を誤解してしまうので、あなた自身はその意見を訂正したい。
あなたはまず隣の日本人の同僚を見るだろう。しかし、彼はニコニコと笑っているだけで上司の言葉に反論しようとはしていない。
こういう状況を想像してみてほしい。

ここであなたは黙っていることもできるし、上司の意見に反論することもできる。つまり、「わたしの上司はこう言いましたが、わたしの意見は少し違います」と意見することができる。あなたが意見を述べた場合、イギリス人三人は、少なくともあなたはあなたの上司と別の意見を持っていると知るだろう。
しかし、あなたが何も意見を述べなかったら、きっと三人のイギリス人たちはその後家で家族に、あるいは職場で同僚にこういうだろう。「その場にいた三人の日本人全員が同じ意見だった。つまり、日本ではこういうことなのだ」と。
あなたが黙っていたとしたら上司の説明が日本の代表となるのだ。それは世界を変える、とまで言えないようなことかもしれない。せいぜい一緒に飲んでいたイギリス人と、彼らの周りの数人の意識を変えるだけかもしれない。でも、少なくとも何かインパクトを与えることができる。そう考えることはできないだろうか?

初めての海外出張から8年ほどたって、今ぼくは技術派遣でアメリカに出張している。
それまでの間、イギリス、ドイツ、イタリア、ポーランド、中国など、様々な国に出張する機会があった。 
国外に出ると、自分の一挙手一投足が海外の人に見られているのだと感じる。逆説のようだが、日本にいてはなかなか感じることがない、「自分は日本人だ」という自覚がそこでは生まれる。

今回のアメリカ出張は正真正銘の技術派遣だ。アメリカはこれが二度目だから、少なくとも前回の技術派遣で役に立たなかったということはないだろう。ある程度功績は認められているからこそまた呼ばれたのだろうし、新人だったあのころより技術者としていくぶんましになったと自覚もある。

今ではほんとうは人見知りなんだと仕事仲間に打ち明けると驚かれる。
相手が外国人でも躊躇すること無く意見し、技術的な内容を議論するからだ。
自分の会社や自分の会社の商品が好きか?と聞かれると、別に好きでも嫌いでもないと思う。愛社精神だとか社会貢献だとか、働くのにそういう高尚な動機なんて必要ない。
ただ、待っていてくれる人の喜ぶ顔が見れればきっとそれでいい。
ときどき決断に迷ったとき、ベトナムの工場で働いていた若者に聞いてみる。どうしたらいいだろうか?どうしたら彼はハッピーになる?

世界はぼくたちの行動でできている


ニーチェの「ツァラトゥストラ」みたいに自分を守るために山に籠もってもいい。
でも、サルトルのように人の中に積極的に入って行って人と交わってもいいだろう。あなたは黙っているのも、意見を表明するのも完全に自由なのだ。サルトルが言うように、その場にいて黙っているだけで何らかの立場を表明することになってしまうなら、ぼくは自分の意見を発言し、行動することを選択したい。
それが例え拙い方法だとしても、あるいは世界に与えることができるインパクトがほんの小さなものだとしても。

たとえば「若者をやめて大人を始める」の著者は子どもができたとき、自分の子どもがどう成長するかが世界に対してインパクトを与えると自覚したのだと思う。子どもは親の一挙手一投足をきちんと見ているから、決して気を抜くことはできない。人間は決して一人で生きているわけではない。家族があり、チームがあり、組織があり、国があり、国際社会がある。

仕事や人生で決断を迷った時、ぼくは世界中のひとが自分と同じ決断をしたら世界はどうなるか?と考える。
ぼくの利益だけじゃない、もっと大きなものに置き換えて考える。自分の所属するチームの利益?それでは全然小さすぎる。自分の所属する会社の利益、お客さんの利益、あるいは日本の利益。そして、大げさな表現になるかもしれないけれど、全人類の利益。
もしも世界中の人がぼくと同じ行動をしたとしたら、世界は幸せになるだろうか?と自問自答してみる。

ぼくの考える大人の定義とはそういうことだ。ぼくの存在や、ぼくが与える影響はちっぽけなものかもしれない。でも、どれだけ小さなものだとしても世界に対して何かのインパクトを与えることができるし、それがゆえにぼくは世界に対して責任を負うのだ。
ぼくたちの行動が世界を作る。それを自覚できることはけっこう悪くない。少なくとも、自分が高い壁の中に守られ、自分の声は庇護者によって遮られ、かき消されて無視されているのだと思うよりもずっといい。

 

世界は自分たちの行動でできている。その自覚のある人間こそが大人なのだと、ぼくは思う。

#わたしの転機

りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン「りっすんブログコンテスト〜わたしの転機〜」
Sponsored by イーアイデム