ほんだなぶろぐ

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ほんとうの豊かさとはなにか? 東京物語

カズオイシグロが自身の作品を作る上で影響を受けた作家は誰か?とインタビューされたとき、日本人小説家ではなく、ロシア文学、その中でもとりわけアントン・チェーホフと、日本映画の監督、小津安二郎の名前を上げたそうだ。

なるほど、小津安二郎の「東京物語」を観てそれがよく分かった。
特にイシグロの初期の日本を舞台にした2作品「遠い山並みの光」「浮世の画家」に強く影響が出ている。
老いた両親が子供たちを訪ねるという構図にしても、両親と子供たちのどこか他人行儀な会話、街並みの雰囲気や時代設定。共通する部分は多く存在する。さらに現段階(2018年現在)の最新作である「忘れられた巨人」でもこの老いた両親が子供を訪ねる旅に出るという構図が使われていた。相当な入れ込みようである。

東京物語にしても、カズオイシグロ作品にしても、人々は本音と建て前を上手に使い分け、礼儀正しく、体裁を気にするが、そこに中身はなく、彼らのセリフを決して額面通りに受け止めることができない。東京物語では、老いた両親を子供たちは表面上は歓迎しているふりをしているが、その実決して手放しでは訪問を喜んでいない。両親もそのことはわかっているが、子どもたちを前に決して本音を言わない。

カズオイシグロとの共通点はわかったが、では相違点はどこか?
それはこの作品の根幹となるテーマだろう。
「ほんとうの豊かさとは何か?」この映画を通して小津が描きたかったのはこのテーマだろうとぼくは感じた。

 

 

 

 

 


この作品の舞台は終戦後の日本。上映されたのは1953年だ。簡単なあらすじは以下となる。

 

広島県尾道に暮らす周吉とその妻のとみが子供たちに会うため、東京に出掛ける。まだ新幹線などない時代だ。行くだけでも日付をまたいでしまう。
そうして苦労して上京した両親に対し、長男の幸一も長女の志げも表面上は歓迎しているのだが……

 


1953年といえば第二次世界大戦終戦からまだ8年ほどしかたっていない。
戦後の傷跡も残るが、人々は翌年(1954年)から始まる高度経済成長へと向かう上昇機運の中で必死になって働いている。働けば豊かな暮らしができる。冷蔵庫、クーラー、テレビ、マイカーにマイホームを買うことができる。びっくりするほどの大金持ちはどこにもおらず、みんなが等しく貧しかった。そういう時代だ。

長男と長女は東京での生活の地盤を築くために必死になって働いている。町医者の長男幸一は休日を返上して急患にあたり、美容室を営む長女志げは客におべんちゃらをつかって新しい髪形を勧める。
頑張れば豊かになれる。それがこの時代のテーゼだった。長男、長女の二人ともが自分の生活の基盤を築くことに忙しく、また、両親も彼ら二人の事情を鑑みて文句ひとつ言わない。

周吉ととみは子どもたちと過ごすことを期待していたが、当人の子どもたちはこのように忙しく、相手にしてもらえない。
金さえ渡せばいいだろうと長男と長女は熱海旅行に行かせる。二人は表面上は喜んで熱海に行くが、床につくと麻雀や音楽に興じる若者の喧噪のおかげでくつろぐことができない。
さらに、美容室を経営している長女は客の前では両親のことを「知り合い」だと言い、夫が義理の両親のために買ってきたお土産に対しても、「そんな高価なもの買ってこなくていいのに」と不平を述べる。

さすがに日がな一日部屋にこもりっぱなしの両親を見かね、長男と長女が頼ったのが「紀子さん」である。
紀子は長女から電話を受けるなりすぐさま有給休暇を取得し、周吉ととみを連れて東京観光に向かう。彼女の言動に表裏はなく、純粋に老夫婦の訪問を喜んでいるように見える。だが、兄弟からは「さん」づけで呼ばれ、お互いに敬語を使うし、どこか両親に対しても他人行儀だ。一体この「紀子さん」の招待とは一体何だろう。
紀子の正体は、彼女の住んでいるアパートで明らかになる。東京観光の帰り、紀子は自分のアパートに老夫婦を招待した。単身者用の狭いアパートで、隣の家女性からお酒を分けてもらい、心づくしのもてなしをする。その紀子のアパートの写真たての中に飾られていた男性の写真に、老夫婦は目を細めた。そう、紀子は太平洋戦争で戦死した次男の嫁なのだ。紀子だって決して生活が楽なわけではない。それでも電話を受けるやすぐに有給休暇を取得し、隣の家に頭を下げてお酒を分けてもらう。

ほんとうの豊かさとはいったい何だろうか?
米国ニューヨークでは100億円を超える超高額のマンションが入札直後に完売する一方で、米国最大手のスーパーマーケットチェーン、ウォルマートの従業員の平均年収は100万円代だという。彼らは生活が立ち行かず、国から生活保護を受けているものも少なくない。生活保護でもらえるフードスタンプで購入するのはウォルマートの製品だ。

米国ほどではないが、日本でも非正規雇用や賃金格差の問題が表出し始めている。使用者と従業員との関係に緊張感がある。電通NHKなど、過労死の問題は記憶に新しく、残業規定枠を無視して働かせることのできる高度プロフェッショナル制度は経営者が母体である経団連からは歓迎されているが、世論は懐疑的だ。

ほんとうの豊かさとはなにか?
この映画が描かれた1953年は、むしろわれわれが直面している経済格差の少なかった時代である。みんなが等しく貧しかったが、「バスに乗り遅れるな」とばかりに豊かさに憧れた時代だ。そういう世間の過剰な動きに対して、小津は懐疑的だったのだろう。前を向き、一心不乱に走っているが、その足元はどうか?また、来た道はどうなのか?

ほんとうの豊かさとはなにか?それは決して古びることのない永遠のテーマだろう。