ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

「人間失格」あるいは「斜陽」と「ヴィヨンの妻」から見る太宰

太宰治の一番有名な作品といえば「人間失格」ではないかと思う。学生時代、そんな思いからこの本を手に取ったが、あまりにもナルシズムの強い文章に辟易して途中で投げてしまった。それ以来ぼくのなかで太宰治は苦手意識があって、「人間失格」以外の作品を手に取ろうという気持ちになれなかった。
その後何年も経ち、何かのきっかけで「斜陽」を読んでみたら面白くてびっくりした。そのほかの作品、「女生徒」、「御伽草子」、「ヴィヨンの妻」なんかも面白いのだ。

それで多少は太宰治に対して苦手意識が緩和された状態で「人間失格」を再読したわけだが、やっぱり初読のときの印象とさして変わらない。気障ったらしく、うじうじしている。ただ、新たに発見があった。それはこの作品が一番大事なことを書いていない、ということだ。生きづらい、生きづらいと言いながら、どうして生きづらいのか、あるいは主人公が何を恐れているのか、について深堀できていない。見るからに何かに恐れているのに、恐ろしい、恐ろしいというばかりで恐ろしさの本質にまで踏み込めていない。それが「人間失格」の弱点だと思う。

 

 

人間失格 (新潮文庫)

人間失格 (新潮文庫)

 

 

 


1947〜1948年という短期間に書かれた、「ヴィヨンの妻」「斜陽」「人間失格」の3作品は比較してみる価値があると思う。共通点は、アルコールや薬物に依存する、依存症傾向の男性が出てくること、そしてその男と関係の深い女性が出てくることだ。
そして相違点は、「ヴィヨンの妻」「斜陽」は女性が主人公なのに対し、「人間失格」は依存症の男性が主人公だということ。つまり、実際の太宰に近い人物を主人公においている。

ところで、太宰作品に出てくる女性たちは一貫してイネーブラーと呼ばれる行動をとっている。彼女たちはいつも男性の行動の尻拭いに奔走されており、男性を更生させたいと思う行動が、実は男性の依存症を存続させる結果を招いてしまっている。人間失格の主人公葉蔵が言うように、なぜか女たちは彼に「かまう」のだ。

人間失格が気障ったらしくうじうじしているという印象なのは、本質的に主人公がなにを恐れているかについて踏み込めていないからだと思う。
逆にヴィヨンの妻や斜陽はそこに踏み込めているから面白い。彼女たちは「愛を無くす」ことを恐れている。愛されなくなること、あるいは愛する対象がいなくなることを恐れる。だから「ヴィヨンの妻」の主人公は夫に会うために夫のなじみの店で働くようになるし、「斜陽」の主人公は画家の子を孕む。彼女たちが生き生きとリアルに描かれているのは、ひとえに太宰が自身をとりまくイネーブラーをつぶさに観察してきたことの証左ではないだろうか。

翻って、人間失格で主人公は特筆すべきような行動をおこさない。イネーブラーの女性たちに囲まれて酒におぼれ、妻をめとって彼女が犯されても酒と薬に溺れ続けるだけだ。行動を起こせないということは、つまり書き手が、主人公が本質的に何を恐れているか理解できていないということだ。人間は、自分がほんとうにおそれているものを冷静に書くことができない。主人公が女性だった場合には書けるものが、男性になった瞬間、自分に近づいた瞬間に冷静ではいられなくなる。もちろん、読み手の側は漠然とした理解で構わない。しかし、書き手の側が自身の感情と向き合えなければ困る。

書かれていない以上、太宰が何に恐れていたのかは推測するしかないのだが、「斜陽」の主人公の弟が遺書でこのように書いている。

人間は 、みな 、同じものだ。
これは、いったい、思想でしょうか。(中略)蛆がわくように 、いつのまにやら 、誰が言い出したともなく 、もくもく湧いて出て 、全世界を覆い 、世界を気まずいものにしました。

 

これは登場人物の心情の吐露であるのだが、同時に太宰治自身の心情の吐露でもあるといえるようにおもう。太宰は「人間はみな平等である」という言説に奇妙なほどプレッシャーを感じている。推察するに、彼は自分が無益で何の役にも立たないことをおそれているのではないかと思う。優秀な兄や、世間できちんとやっている人物と、同じようにやれ、と言われても彼にはそうする自信がなかったのだと思う。
自信とは、自分に降りかかる問題を自力で解決できる、という見通しがなければ生まれない。太宰にはそれがなかったのだろう。作家としてより大きくなるために自己と向き合うことに試みた作品、それが「人間失格」なのではないだろうか。

奇譚なく言えば、「人間失格」が実際の完成度以上の評価を得て太宰の代表作になったのは彼が入水自殺したからだろう。けれど、個人的な希望を言うなら、入水自殺なんかせずに自分の恐れと立ち向かい、さらに大きなポテンシャルを持った小説を書いて欲しかった。そしてそれを読んでみたいと思った。べつにカッコ悪く生きても、惨めに生きても、「人間失格」でもいい。そう感じた。

 

参考

 

斜陽 (新潮文庫)

斜陽 (新潮文庫)

 

 

 

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

 

 映画の方のレビューも書いています。

jin07nov.hatenablog.com