ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

不条理を受け入れる 「ペスト」

新型コロナウイルスの影響で話題になっている「ペスト」。この本は日本だけでなく、ロンドンレビューオブブックスでも取り上げられており、イギリスでも話題になっているようだ。
(ロンドンレビューオブブックス)
https://www.lrb.co.uk/the-paper/v42/n09/jacqueline-rose/pointing-the-finger

ペストは新型コロナウイルスと同じ、人と他の生物の両方が罹患するウイルス(人獣共通感染症)であり、ペストが蔓延したアルジェリアの「オラン」はこの小説の中で都市封鎖(ロックダウン)される。人の出入りは制限され、人々は今住んでいる都市から出入りすることができない。これは我々が今まさに世界中で直面している状況と非常に似通っている。

ただ、その一方で「ペスト」の冒頭にはダニエル・デフォーによる謎めいた一節がある。

「ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。 」
ダニエル・デフォー

印象的ではあるものの、もってまわった言い方ですごくわかりづらい。
しかし、カミュが冒頭にこの一節を配置したのは当然大きな意味を持つ。
この冒頭の一節は、「今から「ペスト」のことを書くけれど、私が表現したかったのは「ペスト」のことではない」という宣言ではないだろうか。

カミュの「ペスト」を通して今我々の身に何が起きているか、そして、「彼ら」の身に何が起きたかを考えていきたいと思う。

 

 

ペスト(新潮文庫)

ペスト(新潮文庫)

 

 

 


「ある種の監禁状態を別のある種のそれによって表現する」とあるが、それは、いったいどういうことか。

文学はそれが書かれた時代と場所の影響から逃れることはできない。カミュは「ペスト」を1947年、フランスで書いた。1947年といえば、終戦のわずか二年後で、フランスというのは第二次世界大戦ナチスドイツ軍に首都を占領されるという経験を持っている。この時代、この場所でカミュの書いた「ペスト」は大ベストセラーになっていて、それは決して偶然ではない。

つまり、カミュは「ペスト」という監禁状態を通して「第二次世界大戦」という別の監禁状態を表現したのだと思う。戦争もまた一種の「集団を襲った不条理」である。では、われわれはこうした不条理に対してどう対処すればいいのか?という問をこの小説は投げかけている。

この小説は「群像劇」という表現形態の物語だ。したがって、ペスト蔓延中の都市という共通の監禁状態に置かれた様々な人物を描写する。

例えば、医師のリウーは献身的に患者を治療し続ける。新聞記者のランペールはパリにいる恋人に会うために封鎖中の街から出たがる。神父のパヌルーはあくまでも神を信じて殉教する。犯罪者のコタールはむしろペストという状況を喜んでいる。

こうして様々な境遇の人がどう対処するか、というのを描写することで、ペストという不条理と立ち向かうというよりはむしろペストを「受け入れる」ことを目的として本書は書かれたのではないだろうか。

「ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。おそらくはこれが、勝負に勝つとタルーの呼んでいたところのものなのだ!」 

 

とリウーが述懐しているが、これは作者であるカミュの考えと言って差し支えないだろうと思う。すなわち、カミュの言う「知識と記憶」とは他者への共感ではないかと思う。様々な境遇の人間を想像することで不条理に耐え、不条理を受け入れることができる。カミュはそれについて表現したのではないだろうか。

この部分で語られるリウー(カミュ)の主張は、第二次世界大戦の経験とも結びつきが強いように感じる。
なぜなら、第二次世界大戦中、パリはナチスドイツの占領下にあり、いわゆる「監禁状態」にあった。そこでパリ市民はナチスドイツの監視に黙って耐えた者、あるいは彼らと戦うためにレジスタンスになった者、そして、ナチスドイツに寝返ったもの、ありとあらゆる者たちが現れた。

戦後フランスは、国としての存亡の危機に立たされていた。市民同士には軋轢や確執があり、彼らのフランス人としてのアイデンティティは揺らいでいた。そんなフランスが再び独立国家として存続するためには、お互いがお互いを理解し、そのうえで連帯する必要がある。群像劇という形態をとることで、この小説は彼らにとっての癒しになったのではないだろうか。

そしてそれは、現代の我々にとっても有効なのではないかと思う。今現在我々の身には等しく不条理が降り注いでいる。富めるものも貧しいものも等しくこの疫病は生命を奪い、我々の生活は制限される。そうした中でフラストレーションはたまり、人々はさまざまな行動に出る。

無軌道な行動をとる者を断罪する人たちもいるが、一番心安らかにいられるのは、問題のある隣人と連帯するために、相手の立場を知り、共感することかもしれない。「ペスト」はそれを教えてくれているように感じた。

その一方で、病疫と戦争とを比較したとき、明らかに違う点が一つある。それは、疫病は天災であるが、戦争は人災であることだ。

そこで戦争とペストをつなげるために重要な役割を果たしていたのが、検事の息子 タルーではないだろうか。人間が、人を殺すという不条理を生み出していいのか、と彼は苦悩する。タルーは戦争と病疫を結びつけるための役割を持っている。

かつて第二次世界大戦はさまざまな分断を生んだが、同時にさまざまな思想や文化を生んだ。そうであるならば、今我々が直面しているこの災厄もまた、新しい「何か」の萌芽となるのかもしれない。

疫病をはじめとした不条理と直面したとき、どう対応するか?不条理を受け入れ、心穏やかに、着実に自分のできることをする、そういう心持ちになることの大切さを「ペスト」は表現しているのだと感じた。