ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

寄るべない不安「斜陽」

太宰治はぼくにとってながらく読まず嫌いの作家だった。
いや、正確に言えば、10年以上前、学生時代に一度は読んでおかないと、と思ってまずは代表作と言われる「人間失格」を手にとって、これはなんという気障な男の話か、と大いに辟易してしまった。主人公大庭葉蔵の直面していた不安や、焦りのようなものはぼくにとってはまったく理解ができず、長いこと太宰治はぼくとは合わない作家の一人なのだと考えていた。

それでどういういきさつだが忘れてしまったが、何年か前にこの「斜陽」という本を読んでずいぶんと驚いた。太宰治とはこんなにも人の感情の機微を捉えているのか、と。

二冊の本の違いはまずは語り手の性別の違いがある。「人間失格」は太宰治自身を彷彿とさせるような放埒な男性の語りだが、「斜陽」は太宰とは似ても似つかない、というかむしろ太宰の恋人たちの誰かを彷彿とさせるような女性の語りだった。
それでいてこの二冊の本の語り手には共通して言えることがあるように思う。それは強烈な、でも同時に漠然とした「不安」を抱きながら暮らしているということだ。

 

斜陽

斜陽

 

 

 なにか心理学じみた解説になって恐縮だが、「不安」というものは、いったいどういうときに起こるだろうか?それはおそらく自分で出来ることを超えた何かが将来自分の身に降りかかるという予感があるときではないかと思う。
例えば大事な仕事のプレゼンで失敗できない。合格しなければならない試験の前。あるいは病に苦しんでいて成功率の低い手術を受けないといけないとき。
もしも何か困難が待ち受けているとしても、それを自分の力でなんとか切り抜けていける、という確信がある時、不安はそれほど大きくはないが、
そうではないとき、不安は大きくなる。
生きている限り、自分でコントロールできない状況に対して不安は常に付きまとう。仏教用語で言えば「生老病死」の苦しみが常に人を苛む。

個人的に「斜陽」という小説が優れている、と思うのは主人公で語り手の「かず子」の不安が物語を通して緻密に描かれていることだ。

彼女の「不安」を一言でいうと「寄るべない不安」なのではないかと思う。
彼女はもと貴族であるが、戦後没落してもはや有閑階級ではいられなくなっている。口ではいざとなれば「よいとまけ」でもして生き抜く、と言っているが、周囲からは「職業婦人なんか無理だ」と言われ続けている。彼女は時代的な背景と彼女自身のバックグラウンドのせいで今後生きていくことに対して強烈な不安を持っている。

誤解を恐れずに言えば当時の女性が心安らかに暮らすための最善のルートは安泰な嫁ぎ先を見つけることだった。さもなければ、あらゆる面で不遇な扱いを受けていた「職業婦人」になるか。そのどちらかにしか生きる道が見出せない。

冒頭、かず子の母がかず子から見て美しいのは、例えば叔父の手腕を無条件で信頼していてなんとかなると思っているからかもしれない。
目をつぶって身体を相手に預けるゲームがある。相手に向かって全身の力を抜いて倒れかかる、というものだ。完全に相手を信頼していなければ転倒の恐怖があるために、身体を預けるのが難しいが、相手を心から信頼している人間にとってそのゲームは不安にはならない。
ある意味でかず子や直治が母を見て思う「ほんものの貴族」とは相手に身体を預けることができるという楽天的な性質のことかもしれない。

一方で彼女の子供たちは相手を無条件に信じることができない。誰かに自分の人生を預けること、あるいは世間というものを信じられない。それは多分に時代的な背景も多分に影響を与えていると思う。この作品もやはり太平洋戦争の影響下にある。

「斜陽」には主人公の「かず子」と弟の「直治」が登場するが、ふたりとも似た境遇で、どちらも強い不安を抱えている。直治の不安は彼の遺書によって窺い知ることができるが、彼の不安は漠然としていて、よくわからない。一方でかず子の不安はかなり明確で、これは何か頼りになるものを模索している、ということがわかる。かず子ははじめは親によりどこを求めたが、その拠り所は次第に上原に変わっていく。

太宰は自分の周りの女性をかなり鋭く観察していたので、彼女たちの不安を明晰に解き明かしていたのかもしれない。戦後すぐの時代は基盤となっていた社会や日本人としての民族的なアイデンティティが揺らいでいた。
「何か頼りになるもの」、あるいは「寄る辺」。これがなくなって基盤が揺らいでいた、というのが当時の日本人が抱えていた「不安」の正体なのではないだろうか?それに男女の区別はない。

太宰作品の男たち、人間失格の葉蔵や斜陽の直治は失敗することを恐れて結論を出さないが、「斜陽」のかず子は少なくとも自分なりの答えを出す。太宰は自分から離れた場所で冷徹な観察をできたからこそこの小説が鋭い洞察と強い魅力を兼ね備えた作品になったのかもしれない。