ほんだなぶろぐ

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「椿姫」は女として生きるより人として死ぬことを選んだ?

椿姫を読むのはもう何度目かで、だいたいの筋は知っていたので、今回はマルグリットという女性はいったいどういう人物だったのだろうかという視点で読んでみた。

ものすごくかいつまんでこの小説のあらすじを説明するなら、この小説はパリで高級娼婦として暮らしていたマルグリットに恋をした青年、アルマンの話だ。アルマンは裕福な家の出ではあるが、マルグリットを養うにはいささか不十分なほどの金しかない。マルグリットはアルマンの純愛に心を打たれ、パトロン達と別れて彼に献身的に尽くすようになる。

今の感覚からするとマルグリットが聖母のように描かれていてご都合主義だ、と言われるかもしれないけれど、今回読み直してみて全然違う感想を持った。マルグリットは聖母なんかではなく、人として敬意を払われるために死んだのではないだろうか。

 

椿姫 (光文社古典新訳文庫)

椿姫 (光文社古典新訳文庫)

 

 

以下、ネタバレを含みます。

 

この小説の肝は、やはりマルグリットという女性の魅力にあると思う。なので、彼女の人となりについて考察していきたい。

マルグリットは初めてアルマンから声をかけられたとき、彼を冷たくあしらう。そのことをアルマンが責めると彼女は、
「私に夢中だという殿方すべてに愛想よくしなくちゃならないのなら、夕食をとる時間すらなくなるわね」なんて言うくらい傲岸な人物だった。
さらに凄いのは彼女の金遣いで、アルマンが出会ったころには数千万円の借金がありながら月にそれ以上の金を使って豪遊し、金持ちのパトロンが何人もいる状態だった。純粋に、どうしてそこまで散財しているのだろう?と疑問に感じながら読んだ。

ここで彼女と比較して引き合いに出したいのは、「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーだ。作品の舞台は戦後のニューヨークで、時代も場所も違うが、彼女も同じように豪奢な生活に何人もの裕福なパトロンを抱えている。ホリー・ゴライトリーはいつかティファニーで朝食を食べるような生活をしたい、という野心を抱えている。それが彼女の一貫した行動規範であり、そのためにホリー・ゴライトリーは物語を通して贅沢な暮らしを捨てることができなかった。

ではマルグリットはどうか?と思いながら読んでいくと、アルマンとの仲が発展していくにつれて冒頭で見せたような傲岸でエキセントリックな性格はなりをひそめ、少しずつ献身的で素朴な性格に変わっていく。彼女にはホリーのような野心的なところは全然なく、贅沢な暮らしにも未練がなさそうに見える。

普通こういう風に都合よくキャラクターが変わってしまうと違和感があるものだけど、彼女の場合には不思議とそれがない。それは、たぶん本来のマルグリットは素朴で常識的な性格で、アルマンと出会う前がむしろ無理をしていたのではないかと思えるからだ。

彼女の望みはなんだったのだろうか?どうしてあんなに散財しなくてはいけなかったのだろう?と考えてみると、一つ思い浮かんだのは、彼女の望みは実はすごく純粋なもので「他人から人間として敬意を払われること」だったのではないだろうかという結論に思い至った。

今の感覚からすると望みが低すぎてあんまりピンとこないかもしれないけれど、当時の女性でしかも娼婦となれば人々からどんな目で見られるか、というのは物語中でいやというほど見せられる。アルマンの友達も、「ああいう類の女に遠慮は不要」というようなことを公然と言うし、この作品の語り手ですら、「母でも娘でも妻でもない女だからといって軽蔑するのはやめよう」というくらいだから推して知るべし、というものだろう。

終盤マルグリットがアルマンと別れることを決めたのもこの視点で見ると説得力があるように思う。彼女はアルマンの父親から「この世でもっとも誠実な人」という評価を受けたかったのではないだろうか。

椿姫はアルマンとマルグリットの恋愛の話であるけれど、それとは別にマルグリットの視点で見れば、生涯人としての敬意を払われることの無かった女性が恋人との愛よりも人間として敬意を払われることを選んだ話、という読み方もできるのではないか。

冒頭で「ティファニーで朝食を」を引き合いに出したのは、このあたりの感覚が時代にあわせてアップデートされていると感じられたからだ。デュマが「椿姫」を書いた数十年後カポーティは「ティファニーで朝食を」で美しく野心的な女性は戦後のニューヨークでどう生きるか、という話を書いている。

今も昔も人の本性は変わらず、今でも差別は残っている、と悲観的になる人も多いけれど、時代を経るに従って着実にいい方向に向かっていっているように、ぼくには思える。もちろん今が完璧だとは言えないけれど。
では、今「椿姫」が書かれるとしたらどうなるだろう?そういうことを考えながら読んだ。