ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

その壁は何を意味し、何のためにあるのか? 「街とその不確かな壁」

 前回の長編小説である「騎士団長殺し」から6年ぶりに出た新作長編がこの「街とその不確かな壁」だ。「騎士団長殺し」でも感じたことだが、この作品は新作であると同時に集大成的な意味合いの強い作品だと思う。(騎士団長殺しのレビューはこちら

 著者のあとがきにも書いてあるが、この小説は自分の作品のリメイク、セルフリメイクだ。初回が1980年に発行された「街と、その不確かな壁」。文芸誌には収録されたものの、村上春樹自身がこの作品を失敗作だとして刊行していない。それをリメイクしたのが、1985年に発行された「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。そして2023年、著者が74歳現在で出版されたのがこの新作「街とその不確かな壁」だ。この三作品をすべて読んだことがある。話は違うが同じモチーフに挑戦した作品という印象だ。なぜそんなことをしたのかといえば、おそらく著者にとってこの「壁に囲まれた静かな街で夢読みとして図書館で過ごす」というモチーフが非常に重要な意味を持つからだろう。

 

 街をぐるりと囲む壁、その壁とはいったい何を意味し、何のためにあるのだろう?

 

 

 壁は何かと何かを分断するためにある。家なら家の内側と外側、街なら街の内側と外側。あるいは、思想の違う東側と西側を隔てる国境のようなもの。壁は内側にあるものを外側にあるものから守る役割を持っているが、「あなたは壁がある」と誰かに向かって言うとき、それは必ずしもいい意味ではない。

 

 この小説の中で壁は街の外郭にあり、外から有害なものの侵入を防いでいる。物語の中で、有害なものとは「疫病」のようなものと表現されていた。コロナ禍に書かれた物語というだけあってこの要素は新型コロナウイルスパンデミックを反映しているように思う。

 

 コロナつながりでいえば、同居人以外とはなるべく接触しないように、という隔離政策が各国でとられた。日本なら「3密」が有名になったし、イギリスの場合はこの小さな共同体のことを「バブル」と表現した。同居家族だけでバブルを形成し、そこからなるべく出ないように、というわけだ。バブルとは言い得て妙な表現だ。外と内を分ける薄い被膜がこの泡のことを指している。

 

 壁というものにどのようなイメージを持っているだろうか? 頼もしい、安全というイメージを持っていた人もいるかもしれない。ただ、コロナが猛威を振るっていたとき、我々の想定していた壁がいかに不確かなものだったかがわかったのではないだろうか。イギリスであればこのバブルは何月何日までは同居人のみだったが、これ以降、異なるバブル同士の人々○人までは許容する、など、ガイドラインがどんどん推移していった。日本でもマスクをつける義務のある場所、つけなくてもよい場所、あるいは飲食店の営業時間など、ここからここまでは安全だが、これ以降は危険であるという危険水域に似た壁が広がったり狭まったりしていた。では、その壁を守りさえすれば疫病から完全に守られるか、といえば、答えはNoだ。そういう意味でもこの壁はきわめて不確かなものだった。

 

 村上春樹の作品は何かを喪失し、そこからの回復を描いたモチーフが多い。妻はいなくなり、恋人は死に、あるいは手の届かない場所に消えてしまう。物語世界に生まれ落ちた主人公は、自身にとって大切な人間の不在に直面し、その人を探し、連絡を取ろうとし、あるいは単にその不在に耐える。

 

 初めて村上春樹の作品に出合ったのは中学生くらいで、作品は「ノルウェイの森」だったように記憶している。ノルウェイの森を読んだとき、それまで他の本を読んだときには呼び起こされなかった感情を呼び起こされた。ある種の悲しみだ。それから何十年もたって、中学生時代のことを思い出してみると、なぜあのとき自分が大切な人を失う経験をした主人公に共感を覚えたのだろう、と首をかしげてしまう。大人になり、出会いと別れを経験した今ならともかく、まだ中学生だったころのぼくは大切な人を失うような経験などした覚えはない。

 

 この作品にとって壁とは、自己と他者を隔てるものの象徴だったのではないだろうか。そして、それはノルウェイの森をはじめとするほかの多くの村上作品で繰り返し語られているモチーフなのだと思う。子供のころのぼくは、まだ自我が確立しておらず、自己と他者との境界線があいまいだった。中学生や高校生というのは、両親や、友達、教師など、曖昧だった他者との境界線が徐々に固まっていく時期だと思う。村上春樹の描く喪失とは、心地よく一体化していたものからの分離とその痛みなのではないだろうか。

 

 どこに線を引き、どこからが他人の領域なのか、逆に、どこまで侵入されることを許し、どこから先は守らなければならないのか。この作品や、村上春樹の書いた多くの作品がその攻防を描いているように感じる。「街とその不確かな壁」の中で、主人公は「街」へ入るために自分の影と分裂してしまうし、大人になってから再び街へ戻ったとき、今度は他者である「イエローサブマリンの少年」と融合する。この作品の主人公の自己の境界線は非常に曖昧だ。

 

 壁という言葉にはネガティブな要素もある。壁は断絶を意味する。互いに交流のあったものが絶たれてしまう状態だ。それは不寛容だったり、差別的だったりする。一方で壁を作らねば自分や自分の大切な存在を守ることができない。どこに壁を築くべきなのか?かつて安全だとされていたものがいかに不確かだったかなものだったか、それを我々はこの数年で思い知った。適切な場所に壁を築く。そうしなければ自身の影を手放してしまうことになるだろう。