ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

街が人を作る。ニューヨーク旅行記

昨日までニューヨークに行っていましたので、旅行記を書きました。

 

メモリアル・デイを前日に控えた日曜日。僕はソーホーの安いホステルに泊まっていた。アヴェニューの名を取っただけのいいかげんなネーミングで、かろうじて鍵のかかる一人部屋はスーツケースも開けないくらいに狭い。

薄いパーテションのような壁で仕切られただけのキャビンがフロアに何十もあって、朝晩はいつも誰かのいびき声が聞こえてきた。

キャビンには当然のようにテレビもなければ窓もない。申し訳程度にポスターが貼ってあるだけの、客室というよりはしゃれた独房のようなホステルだった。相場の半分ぐらいの値段で泊まれる宿泊施設で、わりに僕は気に入ったのだけれど。

 

目を覚ました僕は、ガイドブックに載っていたベーグル屋に向かった。

七時を過ぎたばかりのソーホーは、人通りもまばらで、昨晩のけばけばしい雰囲気が嘘のようだ。あれだけ多かった黄色のタクシーもすっかり消え失せている。

空は晴れ上がり、空気はすっきりとして僅かに湿り気を帯びている。風はなく、きりっとした初夏の涼しい朝だ。

ベーグル屋の店員の女の子は僕の姿を認めると、気だるそうにカウンターから歩み寄って、closeと書かれた札をopenに変えた。

当然だけど、客は僕ひとりしかいない。
「ハロー」という僕の挨拶を無視して彼女はカウンターの奥に引っ込んでいった。

初めてくる店だ。あまり英語にも自信がない。プレーンベーグルとコーヒーを注文した。
彼女はため息混じりにベーグルのなかに何を入れるか尋ねたが、僕の英語力が乏しいせいでうまく通じない。彼女はその間ずっと苛立っているようだった。 

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グレート・ギャツビーを三回読む男なら俺と友達になれそうだな「騎士団長殺し」

新刊のたびに全国ネットのニュースになり、ノーベル賞のたびに噂され、存命にも関わらず全集が出る。(僕も持ってる)

こんな小説家は僕の知る限り日本では村上春樹だけだ。

そんなわけでもちろん騎士団長殺しには発売前から注目していたし、Amazonで予約して購入し、かなり期待を込めて読んだ。
読みながら僕は思った。
もう村上春樹も68歳なのだ。この作品は彼の「集大成」なのかもしれない、と。

 以下、結末には触れていませんが、一部ネタバレを含みます。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

 

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

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すべての部品が置き換えられたとき、同じ人物といえるのか ゴーストインザシェル

 

テセウスの船というパラドックスがある。
ギリシャ神話のテセウスという英雄がクレタ島から帰還したときの船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれを大昔から保存していた。しかし、当然櫂は使っていれば老朽化する。朽ちて使えなくなった櫂は新たな木材に置き換えられていた。

これが論理的な問題から議論になった。
すなわち、「船の構成部品がすべて新しいものに交換されたとき、それは同じ船といえるのか?」あるいは「置き換えられた古い部品を集めてなんとか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのか?」

という議論だ。

ゴーストインザシェルの世界では身体を義体と呼ばれる機械に置き換え、脳をその機械の中に入れる。
脳には記憶を司る海馬があり、中脳には呼吸や運動と言った動作を司る場所がある。視覚や聴覚といった五感からの情報を分析、思考、判断し、行動というアウトプットを行う。その中枢になっているのが脳だ。
身体こそ違えど、記憶と人格を受け継いだその存在は、たしかに自己同一性があると言えそうだ。しかし、例えばその記憶が何者かに捏造されていたとしたらどうだろうか?まったく別の人間の記憶が埋め込まれていたとしたら、その人間は果たして義体化されるまえと同じ人間だと言えるだろうか?

 

 

以下、ネタバレを含みます。

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