ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

ごはんを作ったのはだれか?「おいしいごはんが食べられますように」から見る若手作家のジェンダー表現について

欧米圏で仕事をしているとけっこう困るのがメールを送る相手が女性なのか男性なのか意識しなければならないことだ。つまり英文ならMrを付けるか、Msを付けるか。ドイツ語ならHerrをつけるかFrauをつけるか。間違ってしまうと失礼だし、かなり面倒くさい。

 

加えてドイツ語にはあの初心者泣かせの悪名高い男性名詞、女性名詞、中性名詞なんていうものがある。例えば犬(Hund)は男性名詞だが、猫(Katze)は女性名詞だ。男性名詞の場合不定冠詞がderになり、女性名詞の場合はdieになり、文章を組み立てる上で非常に面倒くさい。また、医者など多くの職業は男性の場合と女性の場合で呼び方がかわる。(男性はArzt、女性はÄrztin。ちょうどウエイターとウエイトレスのような感じ)

 

男性が発言しているか、女性が発言しているか、それを区別する必要はあるのか?

ビジネスシーンでは特に区別する必要はないだろう。ただし、文学なら話は別だ。なぜなら文学は書いてある文章だけでなく、書かれていない文脈、コンテクスト含めて成立しているからだ。

 

性別に関してわりと鷹揚な日本語で、小説の中でキャラクターがどちらの性別であるか判別する方法はあるのか?もちろん存在する。しかし、「おいしいごはんが食べられますように」ではぼくにとって馴染みのある方法が(おそらくは意図的に)排除されていた。そしてよく思い返してみれば、本作だけでなく、若い世代の作家、それもとりわけ特に若手女性作家の中で見られる傾向であるように感じた。

 

 

 

 

 

この作品が芥川賞に選ばれたとき、某テレビ局が選考委員の川上弘美さんに以下のような質問をしてちょっとした話題になった。

「今の時代に高瀬さんの作品が選ばれた意味は?」

「実際、現象として、昭和、平成、令和と女性の受賞者が徐々に増えています。その部分の変化について、ご自身はどう感じていますか?」

https://hochi.news/articles/20220721-OHT1T51006.html?page=1

 

本書を読む前はこれらの質問は不適切だと感じた。書いた作品が優れていれば、男性が書いた作品であろうが女性が書いた作品であろうが関係がない。たまたま女性の作家が優れた作品を書いただけだと思ったからだ。しかし、実際に本書を読んでからは、この質問がそれほど不適切だとは思えなくなった。

 

それはいくつかの面でこの作品がジェンダー的な要素を含んでいるからだ。(もちろん、ジェンダー的な見られ方をすることが作者の意図するものであるかどうかはわからないが)

 

内容に関するレビューは以前書いたのでここではさらっと触れるにとどめたい。本書に登場する残業をバリバリこなす女性主人公の押尾と、先輩からのセクハラもやんわりいなし、残業せずにさっさと帰るが愛嬌のある芦川という先輩女性社員の対比がこの作品の中で描かれている。芦川は結婚したらごはんを作るのは自分で、子育てや家事を引き受けることになんの違和感も抱いていなさそうに見える。対して押尾はそんな芦川に一言では言い表せないような複雑な感情を抱いている。ただしその押尾にしても、仕事が好きでバリバリのキャリアウーマンになりたいというわけでもないし、セクハラを笑って許す態度がありえない、と怒っているわけでもないが、どうせ仕事をやるならきちんとこなしたい、という熱意のさじ加減がなんとも今っぽくてリアルだ。

 

まさに女性の働き方に関する主題が描かれている。これだけでもジェンダー的だが、個人的に関心を持ったのは、本作の文学的な技巧のほうだ。著者が採用した文体について、考えさせられたので文章にしようと思った。

 

このトピックはおそらくこの作品だけを扱って論じることはできないので、いくつか他の作品を引用したい。

まずは、村上春樹(49年生まれ 2022年現在73)の「ノルウェイの森」からの文章を引用する。

 

「楽しかった?」とハツミさんが僕に訊いた。

「交換のことがですか?」

「そんな何やかやが」

「べつにとくに楽しくはないです」と僕は言った。「ただやるだけです。そんな風に女の子と寝たってとくに何か楽しいことがあるわけじゃないです」

「じゃあ何故そんなことするの?」

「俺が誘うからだよ」と永沢さんが言った。

「私、ワタナベ君に質問してるのよ」とハツミさんはきっぱりと言った。

 

村上春樹 「ノルウェイの森

ノルウェイの森 (講談社文庫)

 

ノルウェイの森を読んでいない人でも、ある程度読書経験のある人ならこの短い文章の中に登場する「ハツミ」、「永沢」、「ワタナベ」の性別や関係性がコンテクストとして受け取れるのではないかと思う。

 

すなわち、ハツミが女性で、永沢とワタナベが男性であること、また、ワタナベはハツミと永沢から見て年少者であり、ハツミと永沢は対等かつ親密な関係であるが、現在はハツミのほうが優勢なようだ。

 

一方で、高瀬隼子(88年生まれ 2022年現在 34)「おいしいごはんが食べられますように」からの文章の引用は以下だ。

 

「さっき、芦川さんのこと苦手って言ってなかった?」

「たぶん仕事の同僚じゃなかったら嫌いじゃないんですよ。普通にいい人ふうじゃないですか、芦川さんって。あのタイプの人とはプライベートで仲良くなったことないから、仕事じゃなかったら付き合いもないと思いますけど」

「じゃ、やっぱり仕事の同僚になる以外の出会い方は、ないわけじゃん」

「そうですね。嫌いになる運命なんですかねえ」

 

高瀬隼子. おいしいごはんが食べられますように (Japanese Edition) (p.13). Kindle 版.

おいしいごはんが食べられますように

 

「おいしいごはんが食べられますように」では二人の人物の会話を抜き取った。一人は敬語を使っているので後輩にあたり、一人は砕けた調子なので先輩にあたるだろう。ただしこの文章だけでは性別はわからない。また、「芦川さん」というキャラクターの性別も同様にわからない。

 

切り取ったのはどちらも食事中の風景を描いたシーンだ。一見して登場人物全員の関係性がわかりやすいのは村上春樹の文章だが、例えばレストランに入ってとなりの席から聞こえてきそうな自然な会話になっているのは高瀬隼子の方だろう。

 

村上春樹の文体で性別がわかるようになっているポイントは三つある。

まず名前の呼び方だ。「ワタナベ」と「永沢」。男性の方は苗字で読んでいるが、「ハツミ」のように女性の場合は下の名前で呼んでいる。村上作品の多くは、苗字で出てきたキャラは男性、下の名前で出てくるキャラ(「直子」だとか「緑」だとか)は女性、という規則性がある。

次に「役割語」。「私、ワタナベ君に質問してるのよ」というように、語尾が女性的な形に変えられている。現実の世界ではあまり耳にしない言葉遣いだ。さらに今回切り取った部分では使われていないが、村上春樹の文体で特徴的なのは、「彼」や「彼女」などの一般に英語で使われる三人称代名詞を多用する点だ。

 

この3つの表現すべてを、高瀬隼子はほとんど使っていないか、あるいはかなり抑えている。「おいしいごはんが食べられますように」の中の主要な人物は、押尾、二谷、芦川だが、それぞれ下の名前はわからないし、3人称代名詞も使わないうえ、役割語も使わない。

 

同じく若手女性作家の宇佐美りん(99年生まれ 2022年現在23)「推し燃ゆ」を引用する。

 

「履歴書は送った?」

「いや。電話した」

「埒があかないの」また母が言っ た。「いつもそう。いつもこんな調子。なんとなく流しておけばいいと思ってる」

「半年以上あったよね。どうして何もしなかったの」

「できなかったの」あたしが答え、「噓」と母が言った。

「コンサート行く余裕はあるくせに」

宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.808-809). 河出書房新社. Kindle 版.

推し、燃ゆ

 

そうやって考えてみると、宇佐美りんもほぼ同じような特徴がみられるが、別のやり方で男女がわかるようになっている。つまり「母」という呼称、さらに「あたし」という一人称代名詞で男女を区別している。役割語はほぼ排しているように見え、自然な会話で母娘の間の緊張感が伝わってくる。

 

一方で、若手男性作家の遠野遥(91年生まれ 2022年現在31)「教育」は以下。

 

「樋口のほうはまだ別れたくなかったみたいだな。どうも現実を受け入れられてないらしい。わけのわからないことをあれこれ口走ってたよ」

真夏がサバをそっと床に置いた。忘れないうちに、私は立ち上がってサバを元の場所に戻した。サバは大きなマグロの上に頭の向きを揃えて載せると決まっている。真夏は体育座りをし、自分の膝に頭をつけた。私からはすっかり顔が見えなくなった。そしてそのままの体勢で話し始めた。

「別れたいって言ってから、嫌がらせをしてくるようになったの。問題にできないように、すごくさりげなく。たとえば、稽古中に私の背後に立っていたり。私の脚をずっと見ていたり。食堂で隣に座ってきたり。私が誰かと一緒に食べていると、視界に入る位置に座ってきたり。朝、私が部屋を出るときにちょうど前を通りがかったり、夜、部屋に戻ってくるときにちょうど部屋の前を通りがかったりするの。

 

遠野遥.教育(pp.156-157).河出書房新社.Kindle版."

教育

 

遠野の場合は折衷のように見える。真夏は下の名前だが、樋口は苗字で男性。主人公はニュートラルな「私」という一人称代名詞を使用している。役割語は最小限に抑えているように見えるが、それでもところどころ見られる。

 

では、欧米圏の作家はどうだろうか?

Kindleで手元にあったカズオ・イシグロの短編集「夜想曲集(Nocturnes)」に収められている「降っても晴れても(Come rain, come shine)」から引用する。

 

「レイのアパートは二人用にできてないんだよ。一人用だ。ただ、レイの給料よりちっとばかり金のある人間の一人用なのさ」

エミリはこれには何も言わなかったが、次に口を開いたときは、当然のようにその情報を前提にしていた。

「レイモンド、そんなアパートを選んでちゃだめじゃない」

 

‘The place he’s in, it’s just not geared up for two people! It’s for one person, and one person with a bit more money than he’ll ever have!’

Emily made no response to this, but must have absorbed the information, because she then went on: ‘Raymond, you should never have chosen an apartment like that.’

夜想曲集 (ハヤカワepi文庫)

Nocturnes (English Edition)

 

イシグロの作品は全員下の名前で呼ばれるので、多少欧米圏の命名規則の知識があれば男性か女性か判別するのは難しくないうえ、代名詞としてHeあるいはSheを多用するため、性別の判断に困らない。

 

・名前の呼び方

・三人称代名詞

役割語

 

村上春樹の場合はデビュー作からあえて翻訳調の文体にしているので上記による男女の判別規則が顕著であり、同年代、またはさらに古い世代の作家はこれらのなかのどれかを採用している人も多いように思う。ただ、若い世代の作家はこれらの表現テクニックに代わるものを採用しており、特にその傾向が顕著にあらわれているのは女性作家であるように感じる。

 

なぜか?

ぼくは男性なので想像の域を出ないが、女性作家が女性を主人公として女性の心情を自分の言葉で書くとき、ふと戸惑うのかもしれない。なぜなら自分は役割語を日常的に使わないから。

 

「実際、現象として、昭和、平成、令和と女性の受賞者が徐々に増えています。その部分の変化について、ご自身はどう感じていますか?」

この質問にむりやり答えを与えるなら、男性作家は無自覚に過去の作家の文体を採用できるが(もちろん役割語やらなにやらをあえて採用しない人もいる)女性作家は前の世代の作家が使っていた文体から離れる必要があるから、新しい文体になるのではないだろうか。

 

よくポリティカルコレクトネスが表現の自由を制約する、という言説を見かけるが、実際は逆で、制約があるからこそ、あたらしい文体を生むのかもしれない。「必要は発明の母」という言葉があるがいい得て妙な表現なのかも。

 

おまけとして、気になったので手元の本でいくつか引用。

 

遠藤周作1923-1996)「わたしが・棄てた・女」

「あたし、神さまなど、あると、思わない。そんなもん、あるもんですか。」

「なぜなの?壮ちゃんが死んだから?あなたの願いを、神が、きいてくれなかったから?」

「そうじゃないの。そんなこと、今はどうでもいいんだ。ただ、あたしさ、神さまがなぜ壮ちゃんみたいな小さな子供まで苦しませるのか、わかんないもん。子供たちをいじめるのは、いけないことだもん。子供たちをいじめるものを、信じたくないわよ。」

遠藤周作. 新装版 わたしが・棄てた・女 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2874-2881). Kindle 版.

新装版 わたしが・棄てた・女 (講談社文庫)

 

谷崎潤一郎 (1886-1965)細雪

「もう一時過ぎやわ。早うせなんだら済んでしまう。今日みたいな会は正味演奏する時間ほんちょっとしかあれへんで」

「そうかて、雪子ちゃん、自分が帯のこと云い出したんやないか」

「そんでも折角聴きに行くのんに、あんな音が耳についたらどうにもならへんもん」

「ああ忙しい。解いたり締めたり何遍もせんならん。汗掻いてしもたわ」

「阿呆らしい、うちの方がしんどいがな」

 

Tanizaki Junichiro. Sasameyuki Zen (Japanese Edition) (Kindle の位置No.509-514). KotenKyoyoBunko. Kindle 版.

細雪(上)(新潮文庫)

 

女性作家でもやや年代が上の作家は役割語を使う傾向があるように感じる。

小川洋子(62年生まれ 2022年現在60歳)

 

「4だ」

「正解」

博士は心からうれしそうな顔をする。

「お仕事の邪魔はしないのよ」私はパン生地を小さくちぎり、同じ大きさに丸めてゆく。

「分かってる」ルートは答える。

小川洋子. 博士の愛した数式 (新潮文庫) (Kindle の位置No.2237-2239). 新潮社. Kindle 版.

博士の愛した数式(新潮文庫)

 

 

今村夏子(1980年生まれ 2022年現在42歳)

 

「いきなり何なの?失礼なことするわね」

「中身は麦茶よ。お酒じゃなくて残念だったわね」

橘チーフは水筒のキャップを閉めながら、呆れたように鼻をフンと鳴らした。

「ねえ、そんなに疑うなら全員の水筒の中身、チェックしてみたら?」

 

今村 夏子. むらさきのスカートの女 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1181-1183). Kindle 版.

むらさきのスカートの女 (朝日文庫)

 

 

「大丈夫なのかな。今問題になってるみたいだけど」

「関係ないよ。問題を起こしたのはあっちだもん」

後ろの席の子が身を乗りだしていった。

「海路さんも昇子さんも被害者じゃん」

「そうなの?」

「そうだよ。訴えてきた女の側がおかしいってみんないってるよ」

「海路さんに薬飲まされたってうそついたんでしょ」

「薬なの?お酒じゃなくて?未成年なのにお酒大量に飲まされて気を失ったってきいたけど」

 

今村 夏子. 星の子 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1608-1612). Kindle 版.

星の子 (朝日文庫)

 

川上未映子(1976年生まれ 2022年現在45歳)

 

「入院とか必要なのかな」と母さんが座りながらきいた。

「僕の年だったら長くても一日入院でだいじょうぶだって言ってた」

「なんか拍子抜けするわね」と母さんが笑った。

「なんかこう、せっかくだから物々しくやりたいじゃない、どかんと」

「そうかな」と僕は笑った。母さんも笑った。

川上未映子 ヘヴン

ヘヴン (講談社文庫)

 

 

「あんたまだその癖治らんのなあ、髪の毛いじくるんなあ」とわたしに云い、「そうや、まだめっちゃ触る、わたしな、なんやろねえ、これな、このがたがたの癖のあるこの一本を指先で調べて、抜いてから触るの好きで」とわたしは答え、「小学校んときとかこうやって髪の毛触るん好きすぎて、好きすぎて境目がなくなって、気いついたら自分飛び越えて隣の子の髪の毛触ってたん」

「それは迷惑」

「な」

 

川上未映子. 乳と卵 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.556-559). Kindle 版.

乳と卵

 

ともに40代の今村と川上は作品によって役割語を使ったり使わなかったりしている。

このあたりがもしかしたら境目なのかもしれない。