ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

統制された狂気を天才と呼ぶ Devilman Crybaby

愛とは何か?
ケモノヅメカイバ、ピンポン、夜明け告げるルーのうた夜は短し歩けよ乙女湯浅政明の監督したアニメ作品には様々な形の愛が現れ、それが試される。友情、家族愛、異性愛、そして人間や人生、世界に対する愛。
湯浅作品のうちのいくつかはそのエロスとグロテスクな表現がフィーチャーされるが、それはあくまでも「手段」であって「目的」ではない。
本作、デビルマンでも、激しい乱交のシーンがあり、レイプのようなシーンがあり、腕をもぎ、首をはねて吊るし、親を丸呑みにするようなショッキングなシーンがある。その映像はまごうことなき狂気だ。しかし、それらのどれもがこの作品にとって必然であり、なくてはならないものだ。湯浅作品において、狂気は完璧なまでに統制されている。そして、統制された狂気のことを人は天才と呼ぶ。

残酷な、あるいは性的な表現を通してしか描けないものがある。人は誰かを本当に愛そうとするとき、自分の内側にある暴力の衝動や性的な衝動に向かい合うことになるからだ。
ちょうど、デビルマンの主人公、不動明が最強のデーモン、アモンと一体になった後、自身の破壊衝動、性衝動と向き合い、悪魔と人間の間を揺れ動いたように。

 

 

DEVILMAN crybaby Original Soundtrack

DEVILMAN crybaby Original Soundtrack

 

 

MAN HUMAN(DEVILMAN crybaby Ver.)

MAN HUMAN(DEVILMAN crybaby Ver.)

 

 

 

石野卓球のOPもすごくカッコイイ。

 

以下、ネタバレを含みますのでご注意を。

 

続きを読む

清潔な廃墟 ブレードランナー2049

 

誰が撮っても文句を言われるのではないかというくらい、オリジナルのブレードランナーはカルト的な人気を誇っていた。1982年、ぼくはまだ生まれていないのでその時代の空気はわからないけれど、後の多くのフィクションがこの映画の影響を受けていることを考えれば、当時の衝撃は想像に難くない。

本作は、オリジナルのブレードランナーに最大限のリスペクトを払い、イメージをまったく損なわなかった。1982年、今から35年も前に公開されたオリジナルのブレードランナーは、2017年の今見たら陳腐だったり古臭いと思われるような映像もあるが、オリジナルの映像のイメージを継承しつつ、本作では一切陳腐さを感じさせなかったのは本当にすごい。ブレードランナーで描かれた世界線、2019年からの三十年後である2049年を見事に描ききったと言えるのではないだろうか。
多くのカットは雑然とした廃墟であり、人はあまり登場せず、感情のやりあいというよりは静謐で、クリーンな印象を受ける。全体的に暗く、隠された部分に余白が生まれている。強い光源が生み出す影によってスタイリッシュなカットが生みだされ、内省的でクールな、沈黙の世界が描き出される。
まるで誰かの夢の中に紛れ込んでしまったかのような幻想的な映像美だ。

ブレードランナーの続編としては優秀な作品だったが、これが偉大な作品になるか?と言われると、首をかしげずにはいられない。
優れた作品と偉大な作品を分かつもの、それはメタファーではないだろうか。
メタファーの斬新さ。この作品にはそれが足りていないようにも感じた。

 

 

Ost: Blade Runner 2049

Ost: Blade Runner 2049

 

 

続きを読む

全員嘘つき! カズオ・イシグロ初心者にうってつけ 夜想曲集「降っても晴れても」

 

今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの著作として有名なのは、「日の名残り」「忘れられた巨人」「わたしを離さないで」などの長編だ。これらの作品は、作品全体が巨大なメタファー、隠喩によって支配されており、書いてあることよりも書いていないことのほうがより重要なのである。
イシグロ本人も、「読者がそれと気がつかないような隠喩が優れた隠喩である」と述べているくらいである。
ということは、裏を返せばあまり読書経験のない人にとってはイシグロの小説はなんだかよくわからない、ということになりがちだ。

実際、「わたしを離さないで」の映画版を見た家族の反応はいまいちだった。
漫画をよく読む妹は「まあよくある設定だよね」
設定についていけない母は「作者はどうしてこんな話を書こうと思ったの?」
そして父はずっとスマホをいじっていた。
最後まで見終わったあと、「結局どういう話だったんだろう?」と家族全員が首をひねっていた。

そんな人にこそおすすめしたいのが彼の短編だ。
長編はもちろん全部素晴らしいのだけど、短編のほうも同じくとても優れた緊密なものを書いている。
とくに「夜想曲集」のなかに含まれる「降っても晴れても」という短編は、まったくカズオ・イシグロを読まない読者にとっても取っ付きやすいのではないだろうか。
これほど人間の隠された心理を書きつつ、しかも笑える短編小説を、僕は知らない。

「降っても晴れても」を簡単に説明すれば、「ロンドンにいる友達夫婦の家で、犬のにおいを再現するために履き古したブーツを煮る話」である。
どうしてイシグロがこんな一見ばかばかしいような話を書くのか?
もちろん、この小さな小説のなかにも奥深いカズオ・イシグロワールドが息づいている。

 

 

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

 

続きを読む