部屋に象がいる 『細雪』
英語にこんな慣用句がある。
There is an elephant in the room.
直訳すれば、この部屋には象がいる、となるのだが、なんとも奇妙な言い回しだ。部屋に象などいるはずもないし、象のような巨大な生き物が部屋にいれば誰もが気がつくことだろう。
この言葉の真意は『いまこの場所には誰もが気がついてはいるものの、決して話題に上げることの許されない、タブーがある』ということだ。
細雪は昭和初期における日本のアッパーミドル階級の嫁入りに関する物語だ。彼女たちのセリフは品格のある船場言葉が用いられる。血を分けた姉妹でありながら決して面と向かって本音を言わない。つまり、それぞれの立場上話題にできない数限りない『象』が出てくる。
『象』は始めは小さな存在だったが、次第に大きくなっていく。ふと気がついたときには、姉妹たちはこの大きな象のために分断され、彼女たちの関係性は完全に損なわれている。
物語は1941年4月26日で終わるが、折しもその年の年末に英米を相手にとった太平洋戦争が始まり、日本軍の敗色は濃厚になっていく。
果たして、象を作る人たちは外から見えるほど華やかで高貴な存在なのだろうか?
以下、ネタバレを含みます。
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読む瞑想「ねじまき鳥クロニクル」
村上春樹が好きです、と言うとしばしば話題になるのが、あれだけ毎年とるとると言われているにもかかわらず、なぜ村上春樹はノーベル文学賞を取れないのか?ということだ。
その質問に対してのぼくの答えは簡潔で、いつも「政治的イデオロギーがないからでしょう」と答える。
そうやって答えると、いやいや、戦争を話題にした話はあるじゃないか、例えば「ねじまき鳥」となる。
イデオロギーというのは思想のことで、思想とは行動を左右するものだ。
そういう観点で見たとき、ねじまき鳥に政治的イデオロギーがあるか?ともう一度聞かれれば、ぼくはやっぱり「ない」と答える。
では、例えば、昨年(2017年)にノーベル文学賞をとったカズオ・イシグロ。彼の小説には政治的イデオロギーがあるのか?と問われれば、ぼくは「ある」と答える。でも、べつに政治的イデオロギーがないからと言って、この小説が劣っているというわけではないと思う。
春樹とイシグロではアプローチの仕方が違うのだ。
すごく乱暴に言ってしまえば、カズオ・イシグロは「戦争という人類最大の悲劇に見舞われたとき、私はどう行動すればいいのか?あるいは、何を行動すべきでないのか?」という原則で書かれているのに対し、村上春樹は「戦争という人類最大の悲劇に見舞われたとき、私はどう感じるのか?何を思い、どう行動するのか?」という視点でアプローチしている。
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ほんとうの豊かさとはなにか? 東京物語
カズオイシグロが自身の作品を作る上で影響を受けた作家は誰か?とインタビューされたとき、日本人小説家ではなく、ロシア文学、その中でもとりわけアントン・チェーホフと、日本映画の監督、小津安二郎の名前を上げたそうだ。
なるほど、小津安二郎の「東京物語」を観てそれがよく分かった。
特にイシグロの初期の日本を舞台にした2作品「遠い山並みの光」「浮世の画家」に強く影響が出ている。
老いた両親が子供たちを訪ねるという構図にしても、両親と子供たちのどこか他人行儀な会話、街並みの雰囲気や時代設定。共通する部分は多く存在する。さらに現段階(2018年現在)の最新作である「忘れられた巨人」でもこの老いた両親が子供を訪ねる旅に出るという構図が使われていた。相当な入れ込みようである。
東京物語にしても、カズオイシグロ作品にしても、人々は本音と建て前を上手に使い分け、礼儀正しく、体裁を気にするが、そこに中身はなく、彼らのセリフを決して額面通りに受け止めることができない。東京物語では、老いた両親を子供たちは表面上は歓迎しているふりをしているが、その実決して手放しでは訪問を喜んでいない。両親もそのことはわかっているが、子どもたちを前に決して本音を言わない。
カズオイシグロとの共通点はわかったが、では相違点はどこか?
それはこの作品の根幹となるテーマだろう。
「ほんとうの豊かさとは何か?」この映画を通して小津が描きたかったのはこのテーマだろうとぼくは感じた。
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