ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

あの傷が、あなたの生涯ただ一人のほんとうの恋人 充たされざる者

 

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

充たされざる者 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 1989年に『日の名残り』でイギリス最高栄誉のブッカー賞を取ったカズオ・イシグロが6年後の1995年に上梓したのが本書、『充たされざる者』です。
 日の名残りで作家として不動の地位を得たイシグロは、この『充たされざる者』でほんとうに書きたかったものを書き、これまでの最高傑作となったと自認しているそうです。

『充たされざる者』は、世界的に有名なピアニストの『ライダー』が、ヨーロッパのとある街に招かれたところから物語が始まります。その街は、住人の言によれば『危機を迎えて』おり、その危機を乗り越えるために『木曜の夕べ』なるリサイタルが開催される予定です。ライダーはそのリサイタルでピアノの演奏を依頼されているのですが、住人は慇懃な態度でライダーに接しつつも、彼に様々な頼みごとを依頼し、彼を振り回します。
 また、ライダー自身も記憶が混濁しており、訪問のスケジュールや演目について思い出すことができず、初めて訪れたはずの街に妻と息子がいたり、イギリス時代の旧友に出会ったりと、時間と空間を超えて夢か現か大いに混乱していきます。

 イシグロの小説を読むと、ああ、これが小説だよなあ、としみじみ感動するのですが、この作品もそのように感じました。
 個人的な解釈は以下に記します。一部ネタバレがあるかもしれませんのでご注意ください。

 


 まずは、街の危機というのはなんだったのでしょうか?

 危機の象徴として、マックス・サトラーという人物が象徴的に市民の間で噂にのぼります。ライダーはそれが政治的な意味合いを持つと知らないうちにサトラー館の前で記者に写真を取られ、それが新聞に掲載されることで街の人達をがっかりさせてしまいます。サトラー=ヒトラーのようにも考えられ、市民の間のほとんどは彼に反目し、少数が彼を支持するように描写されます。
 また、ギャラリーに徒歩で向かうライダーは、『壁』に阻まれ、目の前にギャラリーが見えているというのに迂回せざるを得ないというシチュエーションがあります。近くにいた通行人は、その『壁』についてアメリカ人や日本人の観光客が写真を撮りに来る観光名所であり、誰もその『壁』を超えることはできないと説明します。ライダーはその説明に対し、そんな壁は壊してしまえと憤りますが、これはベルリンの壁、あるいはフランツ・カフカの『城』のような世界観を連想しました。

 ほとんどが夢のなかのできごとのようにうすぼんやりとしたベールに包まれており、話の展開は荒唐無稽で、すべての登場人物は奇妙です。では、退屈なのかというと決してそうではない。ライダーはいつも気がかりな問題を抱えています。
 スピーチのための下調べをしなくてはならず、息子との約束を果たさなくてはならず、自分の両親の到着とその世話をフォローし、リサイタルでの演目をリハーサルしなくてはならない。にも関わらず、市民たちは自分たちの都合で、奇妙な依頼をライダーにします。
 眠ろうとしたところを起こされ、ガウン姿のまま夜会に駆りだされ、椅子の上に立ってスピーチをしたり、指揮者がリサイタルの当日に死んだ犬の埋葬に立ち会ってピアノを演奏してくれと頼んできたり、リサイタル直前にホテルの支配人が妻の作ったアルバムを見てくれとお願いしたりします。
 丹念に書き込まれ、計算しつくされているからなのか、ライダーの焦りや当惑がこちらにも伝わってきて、いよいよ理不尽な要求に耐えられなくなってくると、彼は癇癪を起こし、事態を収集するどころかむちゃくちゃにしてしまいます。
 ライダーと一緒に困惑し、焦り、怒り、そしてライダーの行動もどこかおかしいので笑ったらいいのか、一緒になって怒ったらいいのかわからない。そうして様々な感情を揺さぶられているうちに、奇妙な符号に気が付きます。
 たとえば、ホテルの支配人ホフマンの息子、シュテファン。リサイタルでピアノを演奏する予定の彼は演目を父親の好きな曲にしていたのですが、直前になってホフマンからその曲は母親が嫌っている曲だと聞かされます。直前での変更は危険だとみんなから止められますが、結局演目を変更して木曜の夕べに臨みます。ところが、息子に才能がないと思い込んでいるホフマン夫妻はシュテファンが演奏中に途中退席してしまいます。
 対して、リサイタルの演目を決めていなかったライダーは、両親が見に来るということを考慮し、母親の好きな曲を弾くか、父親の好きな曲を弾くかで思い悩み、結局は父親の好きな曲にします。そうして選んだにも関わらず、両親がリサイタルに来ないと知るや、感極まって泣いてしまいます。
 シュテファンはライダーの分身なのです。そうしてみてみると、不思議なことに、ライダーの息子のボリス、ブロツキーなど、一部のキャラクターはライダーの分身であると気が付きます。
 彼らは奇妙ですが、ライダーは自分の課題をうっちゃっておいて、他の人たちのお願いをついつい聞いてしまいます。それはなんだか逃避のようにも見えます。確かにお願いする市民たちは緊急の用件なのですが、冷静な目でみるとライダーが、『実は自分の課題を後回しにしたいと思っている』ようにも見えます。ライダーの妻、ゾフィーがライダーに言います。「ほかの人たちはね、この世に永久に時間があるみたいに振る舞ってる」
 これは、ライダー自身にも言えることのように思います。永久に時間があると思っているからこそ、他の人のお願いを聞いてしまう。そして、自分の課題を後回しにしてしまう。
 指揮者の妻ミス・コリンズが指揮者の夫ブロンスキーに「あなたのばかばかしい小さな傷!それがあなたのほんとうの恋人なのよ、レオ。あの傷が、あなたの生涯のただ一人のほんとうの恋人!」と言う場面がありますが、これも真に迫るものがあります。
 あなたの傷、というのは、自分にとっては大事なことだけど、他人からみるとたいしたことのないこと、という解釈ができるかと思います。
 例えば、シュテファンは、ライダーから見れば才能のある若者ですが、彼の両親から見ると彼の才能は一線で活躍することのできない絶望的なものであると考えられています。みんながみんな、それぞれの傷を抱えて汲々とし、それでいて永遠に生きるかのように自分の課題を後回しにしている。
 僕は充たされざる者を読んでそのようなメッセージを感じ取りました。