Netflixで上映中 勇者ヨシヒコシリーズの面白さは「あるある」と「はずし」
NETFLIXで上映中の『勇者ヨシヒコと魔王の城』にドハマリし、魔王の城と『勇者ヨシヒコと悪霊の鍵』を一気に見てしまいました。
特に、しょぼい魔法ばかり覚えて『使えない奴』認定されているけど、実はピンチを突破するのはいつも彼の『提言』という陰の功労者、メレブが一番好きです。ムロツヨシはメレブのはまり役で、彼の天性の胡散臭さと抜群の間のとり方がツボです。
とくに好きな呪文は相手をシャクれさす「シャクレナ」です。何と噛みあわせを悪くして敵を倒すことができます。無敵ですね。
2016年の10月には新シリーズ、勇者ヨシヒコと導かれし七人が放送決定して楽しみです。
そんな勇者ヨシヒコシリーズの面白さを分析してみました。
RPGのテンプレートを外すキャラクターが魅力
勇者ヨシヒコシリーズの魅力といえば、やはり個性豊かなキャラクターにあるとおもます。特に主人公のヨシヒコのキャラクターが物語を牽引していく大きな原動力になっています。
『使命感に燃える心優しい勇者』はテンプレートですが、彼はそのキャラクターをもちつつも、それがあまりにも過剰なので、その個性が魅力であると共に物語の推進力たりえています。使命感に燃えるあまり、周りの空気を読まず、人の気持ちを考えない。容姿の恵まれない女性には悪気なく「ブス」と連呼するし、サブイベントに夢中になるあまり、魔王を倒すという目的をしばしば忘れる。心優しいがゆえに、敵の有利になることも、頼まれればやってあげる。
脇を固める仲間たちも絶妙な味付けです。
『熱血漢で勇敢な戦士』は、『話が長くて暑苦しいうえ、本性は女々しいオカマ』、『天真爛漫で元気なヒロイン』は、『口が悪くて凶暴』、『賢くて頼りになる魔法使い』は『変な魔法ばかり覚えて戦闘には役に立たない』。
『面白さ』のあるフィクションは『作り話』だけど、『嘘』じゃない
こうしたキャラクターがなぜおもしろいかといえば、それはそのキャラクター設定が『作り話』ではあるけれど、『嘘』ではないからだと思います。
フィクションでは、そのキャラクターのいい面が取り沙汰されることが多いです。フィクションは一定の目的のためにキャラクターたちが協力し、あるいは対立してクライマックスを迎えます。その過程で『長所』は『長所』としてエピソードが展開され、お話が終わればそのキャラクターは我々の記憶に『長所』だけを残すことになります。
しかし、現実は『魔王』を倒してハイ終わり。ではありません。だから、使命感が強い、熱血漢、などの特徴を持った人間の裏の顔も長い付き合いになれば次第によく見えてきます。
使命感に燃える人間はしばしば暴走して本来の目的を忘れるし、熱血漢は暑苦しくて話が長く、周りをうんざりさせる。元気な女の子はガサツで乱暴だし、賢い人は口ばかり出して手を動かしません。
あー、こういう人間いるわー、という『あるある』と、親しみのあるRPGのテンプレートを『はずす』こと。これが勇者ヨシヒコシリーズの面白さではないかと思います。
ちなみに、勇者ヨシヒコと悪霊の鍵のopはSTRAIGHTENERが歌っており、無駄にかっこいいです。iTunesで思わず買ってしまった。