声なき悲鳴 最貧困女子
近所に口唇口蓋裂の同級生の少女が住んでいた。おぼろげな記憶の中では、彼女の両親は知的障害を持っており、暮らしぶりもあまり裕福とは言えなかった。
粗末な身なりをして、口唇口蓋裂ゆえにうまく発音できないので人とコミュニケーションを取ろうとせず、ひっそりと学校に通っていた。積極的ないじめの対象になっていたわけではないけれど、彼女が困っていてもなんとなく無視してしまうような空気があった。
算数の練習問題を解いていた時間だったと思う。僕の隣に座っていた彼女が消しゴムを忘れてしまったようで、困っていたらしかった。
僕はそれに気がつかなかっただけなのだけれど、教師は僕が彼女を無視したと思ったらしく、僕を叱りつけた。
小学生だった僕は当時すこしだけむっとしたけれど、この本を読んでその思い出に感慨を抱くようになった。
以下、レビューです。
貧乏と貧困は違う
プア充という言葉を知っているだろうか?
彼女らは地元に暮らして仲間を大事にして、助け合いながら生きている。大型のバンを持った友人に車を出してもらって、コストコや業務用スーパーで食材を調達する。地元の会社に事務として働きつつ、週末はデリヘルなどのセックスワークをする。彼女たちの年収は150万程度。本人曰く、生活は苦しいけど、暮らしていけないレベルじゃない。
取材対象のプア充女子は、身なりや体型にも気を使い美しさを保っていた。
彼女たちはプア(貧乏)かもしれないけれど、充実している。だからプア充だ。
筆者は、彼女たちと比較し、同じ年収でも困窮を極めている女性のことを、最貧困女子と定義している。
貧乏と貧困は違う。筆者の定義する最貧困女子には以下の定義がある。
最貧困女子の3つの無縁、3つの障害
貧乏であっても幸せな人はいる。しかし、貧困で幸せな人はいない。
貧困とは、貧乏であるだけでなく、3つの無縁(家族の無縁、地域の無縁、制度の無縁)、3つの障害(精神障害、発達障害、知的障害)のうちのどれか、あるいは複数を抱え、進退窮まる状況にある女性のことを言う。
同じ年収でも、片や色々と工夫して充実に過ごしている人もいる。数字の上では同じボリュームゾーンに属するがゆえに、プア充から最貧困女子は決して理解されない。
私たちは同じ年収で普通に暮らしているのに、あいつら甘えてる。プア充から最貧困女子はそう見えるらしい。
女は困ったら身体を売ればいい、という考えを持っている人もいる。貧困女子は、一言で言えば性格的に面倒くさいし、大抵の場合容姿にも恵まれていない、と著者は語る。身体を売るにもこの不況では、前述のプア充との価格競争に勝たなくてはならない。
そして、同じボリュームゾーンに属する人から最貧困女子に向けられる偏見が、問題をより一層複雑にしていると著者は指摘する。
美しい困った女性と、みすぼらしい困窮した女性
子役の少女を起用したある国の社会実験がセンセーションを起こした。
綺麗な身なりをした少女が泣きながらレストランのオープンテラスで食事をしている人々に近づいて行った場合、テラスの人々は少女のために親身になって声をかけた。お腹がすいているのか?親はどこなのか?
しかし、少女がみすぼらしい身なりをして全く同じようにオープンテラスの人々に近づいていったとき、彼らの反応はまるで違っていたそうだ。
彼らは露骨に少女を邪険がり、彼女を追い払った。あまりの仕打ちに少女は演技を忘れて泣いてしまったという。
身なりの綺麗な泣いている少女と、身なりのみすぼらしい困窮した少女。真に助けが必要なのはどちらなのだろうか?
最貧困女子を読んで、そんなことを思った。