ほんだなぶろぐ

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人間をほかの目的の手段として使ってはならない 夫がATMになった日 考察

 

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 ブコメでは「夫=ATMって妻=無料の風俗って言うのと同じくらい品がないと思うんだけどなー」と書きましたが、文字数が足りなくてエッセンスしか書けなかったので、補足したいと思います。

 

 この話題を、もしも女友だちが「私の旦那、自分のことに全然お金を使わなくて、私や子供のためばっかりにお金を使うのよねー」と聞いていたら、「へえ、いい旦那さんだね愛されてるね」と返すと思うけど「私の旦那、自分のことに全然お金を使わなくて、私や子供のためばっかりにお金を使うのよねー。だからATMって呼んでる」と言われたら、「いや、ちょっと待って」と反論すると思います。

 

 どうしてこの記事がこんなに『もにょっ』とするのかということについて考察を載せておこうと思います。

 問題の本質はジェンダーではありません

 ブコメでは男女の置き換えをしていますが、男が妻のことを無料の風俗だと公言したら叩くくせに、女が夫をATM扱いしても叩かれないのおかしい!プギャー!!という意味ではないです。
 夫が妻とセックスしたいと望むのは生物としては自然なことですし、妻が夫に経済的な安定を望むこともまた自然なことです。
 では、相手に対して平然と「SEXさせてよ!」という男性と、「年収いくら?」という女性がいたとしたらどんな印象を受けるでしょうか?
 僕はそういう人間に対しては稚拙だという印象を受けます。
 これが稚拙だという印象を与えるのは、生物としての本能的な欲求をそのまま相手に伝えることに起因します。これは男女の本能的な欲求に基づいていますので、逆に考えると、夫が妻をATMと呼んだり、妻が夫を無料の風俗と形容するのはちょっと違和感があると思います。まあ、ゼロじゃないとは思いますが。
 だから男女の置き換えをしてみましたが、この問題の本質は、ジェンダーにはありません。

ATMと無料の風俗が同じくらいひどい?

 とはいえ、ATMって表現がそんなにひどいの?無料の風俗と同じ?と考える人もいると思います。

 カントいわく、『人間はごくわずかでも、ほかの目的の手段として使われてはならないのである』

 問題の本質はここにあります。
 ATMは、お金を引き出すという目的を持った手段の象徴ですし、風俗は性的な欲求を満たすという目的を持った手段の象徴です。
 つまり問題はジェンダーにあるわけでも、酷さの多寡にあるわけでもなく、他人を『目的の手段として使うこと』にあるのです。カントが指摘したように、それは『ごくわずか』でも許されることではないのです。
 例えば、仕事ができて大変尊敬している上司がいたとします。その人が『○○さんは使えるけど、○○さんはだめだね。使えない』と表現していたらどうでしょうか?
 僕は同じ理由でこれを品がない表現だと感じます。
 例えどんな理由があったとしても、あるいはその上司にどんな美点(仕事ができるなど)があったとしても、他人を使える、使えないと表現するような人を、僕は軽蔑するでしょう。
 表現には品格が存在します。
 品のない表現は誰かの人間性を毀損します。それは伝染し、影響を与えることになります。これがもにょっとする理由なんじゃないかな、と僕は考えます。

 もしも僕が、女友だちから「私の旦那、自分のことに全然お金を使わなくて、私や子供のためばっかりにお金を使うのよねー。だからATMって呼んでる」と打ち明けられたとしたら上記の内容を説明したいと思っています。

 静かに人間性を毀損されている誰かがいるかもしれない以上、僕にはそれを看過することができません。