ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

限りなく続く自由への闘争 「ロンググッドバイ」

 

ロンググッドバイを筆頭とする探偵フィリップ・マーロウシリーズにおける最大の謎とは、小説家のミステリアスで美しい妻でもなければ、警察権力とマフィアの闘争でもなく、総白髪の礼儀正しい酔っぱらいでもない。それは、主人公であるフィリップ・マーロウ自身ではないだろうかと思う。彼がどういう人間なのか、どうしてこれほどまでに他者と戦い続けるのか? 作中で彼は相手の意図を跳ね除け、挑発して揺さぶり、組み伏したり、逆に打ちのめされたりしている。マーロウシリーズは闘争の連続である。マーロウは誰とも仲良くならない。心を通わせることができない。ひととき心を通わせた、と思ってもそれは一過性のもので、すぐにまた闘争の中へ突き進む。

 

彼は雄弁でありながら、同時にミステリアスな語り手でもある。彼の意図は説明されず、ただ読者が彼の心のうちを斟酌するしかない。さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ、などの美しく感傷的な台詞を吐くところからも他人と心を通わせることを渇望していることを匂わせるが、それでも彼は人と同調することをしない。

ぼくはこの作品を通して読むことでドイツの哲学者エマニュエル・カントの言葉を思い出した。「平和の反対とは、戦争や闘争ではなく『自由』である」と。つまりこの本とは、「自由」と「自由」の衝突なのではないだろうか?

以下ネタバレを含みますので注意。

 

 

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男に生まれるのではない、男になるのだ 「たてがみを捨てたライオンたち」

1949年にフランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールが「第二の性」の中で言った。「女に生まれるのではない。女になるのだ」当時は終戦からまだ四年。男性が戦争で激減し、女性は自立して前を向かなくてはならない時代だった。当時の感覚は想像するしかないけれど、この言葉を男女逆にしても今の感覚ならそれほど違和感がないような気がする。

 

男に生まれるのではない。男になるのだ。

 

男性の生きづらさを扱う、一般的に男性学と呼ばれるこの分野の研究が発達してきたのは1980年ごろからだという。恐らく女性の参政権が認められ、男女雇用機会均等法が当たり前に受け入れられるようになってからで、いまからおよそ四十年くらい前の話だ。ぼくは1984年生まれの34歳なので、男性学の誕生とほぼ同時期に産まれたことになる。

 

ジェンダーの問題というものは、論じるのがとても難しい。特に世間一般では強い立場と言われる男性の生きづらさについて語るのには注意が必要だ。そうは言っても女性のほうが立場は弱い、と言われればそのとおりであるし、男性自身も自分の弱みを喜んでさらけ出そうという気持ちにはなかなかならない。それに、ぼくは男性であるので、語った瞬間に男性の側から男性を語る、とか男性の側から女性を語るという立場を取らざるを得ない。

 

つまり、公平性を保つことが難しい。それはぼく以外の誰が語っても同じだと思う。まず身近な人間から始めるか、よほど気をつけて科学的統計に基づいて論じないと、「主語が大きい」と言われかねない。

 

だから、まずは身近にいる男性について話そうと思う。
例えば、ぼくの父は絶対に「出来ない」とか「知らない」と言わない人だ。では、なんでも出来て、なんでも知っているスーパーマンのような人か、といえばそうでもない。当然人間だから出来ないことも知らないこともある。ただ、出来ない、知らないと言えないだけで、彼はそれを回避したがる。そのために付き合わされる方はけっこうイライラする。素直に出来ない、知らないと言えばすぐに終わったはずの話が、無駄に回りくどく長くなる。皆さんの周りにもそういう人はいないだろうか?そして、そういう人は男性?それとも女性だろうか?

 

たてがみを捨てたライオンたち (単行本)

たてがみを捨てたライオンたち (単行本)

 

 

 

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「存在」というものの不確かさ 納屋を焼く

10年以上前に読んだ短編で、使っていない納屋を焼く、なんとなく不気味な趣味を持つ男が出てくる短編小説だということは覚えていた。今回読み直して少し驚いた。かなり緊密な構成になっていたからだ。

 

村上春樹は基本的には技巧的というよりも職人的な、言わばインスピレーションの作家というイメージだった。例えば、ダンスダンスダンスでは、札幌のいるかホテルについた後、自分のインスピレーションが降りてくるまで主人公にカフェに行かせたり、思いつきで床屋に行かせたり、さて、今日は何しようか、とさまざまなことをさせていた。

でも、短編の場合には枚数の制限もあるのでそういうわけにもいかない。冒頭から意味のある話をしなくてはならない。

 

緊密な小説、ということは、無駄な文章がない小説、ということだ。不気味な趣味を持つ男の話、という男の印象だけが強く残る小説だが、実際には冒頭からこの話の方向性を決める会話がある。


パントマイムのくだりだ。主人公のガールフレンドはパントマイムの勉強をしていて、みかんむきを主人公に披露する。彼女の見事なパフォーマンスを主人公が褒めると、ガールフレンドは、コツがあるという。みかんがあると思いこむのではなく、そこにみかんがないことを忘れるのだ、と語る。つまり、冒頭で、「今から語られる物語は、なにかの「存在」に関する話なのだ」とここで提示されている。

では、なんの存在か?
それを読み解くヒントは主要人物の人間関係や職業などのバックグラウンドにあるように思う。

 

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

 

 

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