説明過多?説明不足?屍者の帝国
伊藤計劃原作の映画、屍者の帝国を見ました。
伊藤計劃は、虐殺器官、ハーモニーの原作を買うものの、読破出来ずにいます。信者の方も多く、SF界では伊藤計劃世代なんて言葉も生まれるくらいのビッグネームなんですが、今回も僕にはピンときませんでした。
楽園追放の時にも思ったのですが、日本発のSFって説明過多で、説明不足な気がします。
以下、ネタバレをふくみます。
屍者技術や、それを取り巻く説明が冒頭から終盤まで延々と描かれますが、結局それぞれのキャラクタが何をモチベーションに動いているのかが説明されていませんので、感情移入ができませんでした。
のっけからフライデーを屍者技術で蘇生させるシーンは、おっ、と興味を惹かれました。屍者技術が各国に与えた影響が説明されていきますが、明らかに情報過多で、頭に入ってきません。知りたいと思う情報が知りたいと思うタイミングで入ってこない印象です。
また、説明不足の最たるものは各キャラクターの動機の部分でしょう。
ワトソンがどうしてフライデーを執拗に復活させようとするのか、カラマーゾフとニコライがどうして生きたまま屍者技術を施して死ぬのか。
また、ラストで何故ワトソンが自ら屍者技術を施すのか。
知識に対する渇望と、哲学的な問答には心を惹かれるものがあるものの、エンタテイメントのストーリー全体としてみたときに、僕はそこまで心を動かされませんでした。