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ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

夢と挫折

Netflixのお題「夢と挫折」をテーマにショートショートを書いてみました。

 

「ねえ、幸せ?」
 産婦人科への通院の帰り道、胎教関連の書籍を見たいという妻のリクエストに応えて国道沿いの書店に来ていた。
 その国道は僕が高校の時、通学路にしていた道で、夏の暑い日も、冬の寒い日も自転車でその四車線の国道の歩道を走っていた。あれから12年の歳月がたってもかわらずにその書店は営業を続けていた。高校時代の僕は、よくその書店で小説を購入した。
 村上春樹スコット・フィッツジェラルドゴールディングカフカ、ディック、アシモフディケンズカポーティカズオ・イシグロ
 遊びといえばコンテナを改装したしょぼいカラオケと、一階がゲームセンターになったビリヤード場くらいしかない辺鄙な田舎町で育った僕は、これらの作家が頭の中で作り上げた世界の中で遊ぶことを何よりの楽しみとしていた。ギャツビーの邸宅で開催されるパーティに思いを馳せ、東欧の城下町から古城を目指す測量士Kの苦難に心をかき乱された。
 その頃の僕は、目の前の矮小な世界よりも、自分の内側に広がっている世界のほうにリアルを感じていた。
「ねえ、幸せ?」
 文学誌を立ち読みしていた僕にそう声をかけたのは妻だった。『赤ちゃんのためのモーツァルト』と題された雑誌を抱えていた妻のお腹は、最近目に見えて膨らんできていた。
 同じ職場で出会った二歳年下の彼女とは付き合って五年で結婚した。出会ったときと同じように彼女のことは好きだし、結婚してすぐに授かった僕達の赤ちゃんもきっと同じように愛することができると思う。五年という歳月はあまりにも長く、今では僕は彼女なしの人生なんて考えることができない。
 にもかかわらず、彼女は時々僕に問いかける。
「ねえ、幸せ?」
 その日彼女が僕にそう問いかけたのは、きっと、僕が今年デビューした小説家のインタビュー記事をぼんやりと立ち読みしていたからだろう。
 二年前のその日、僕はこの文学誌を震える手でめくった。
 結婚前、いつかできることなら専業作家になるのが夢なんだと語ると、私との結婚はどう考えているの、と彼女は泣いた。
 毎日出勤の前の1時間を執筆にあて、深夜に帰って来てからも執筆して、睡眠時間は三時間ほどになった。週末のうちの一日を執筆にあて、残りの一日を彼女とのデートにあてた。
 一年間かけて執筆した末に応募した僕の生まれて初めての長編小説は一次予選すら通らなかった。僕が頭のなかで作り上げた世界は、誰とも共有することなく沈黙の中に消えていったのだ。
 この小説がダメだったらきっぱり諦める。そう彼女とは約束を交わしていた。書きながら自分の才能のなさを痛感していた僕は、予選落ちの結果を受けても不思議とショックを受けなかった。むしろ彼女のほうが残念がって、その日は近所のおいしいうなぎを僕にごちそうしてくれた。
 僕たちはその年の夏に入籍し、子どもを授かった。その後もふとした瞬間に彼女は僕に問いかける。
「ねえ、幸せ?」
 そのたびに僕は答える。「もちろん、幸せだよ」
 彼女は家に帰ると、フェイスブックに載せるために『赤ちゃんのためのモーツァルト』に蛍光灯の光が映らないように陰を作ってくれと僕に依頼する。お安い御用だ、と僕は蛍光灯の光が反射しないように手で陰を作ってやり、妻は雑誌をiPhoneで撮影する。
「ねえ、幸せ?」
 彼女が僕にそう問いかけるたびに、僕の身体の中で行き場のない憎悪と悔しさと怒りがごちゃまぜになった感情が交錯する。身体の中にどろどろした澱が溜まっていくのを感じる。幸せか?僕にだって、そんなものわかるはずがないじゃないか。
 彼女のお腹の中で育っている新しい命は、日に日に僕の憎悪を取り込んで成長しているように思える。おぞましいその大きなお腹を切り裂いて、小さな命をすりつぶしてしまいたいとすら思う。我が子を食らうサトゥルヌスのように、僕の可能性を食いつぶしたその小さな命を憎む自分がいる。
「ねえ、幸せ?」
 それはよく研がれたナイフのように僕の柔らかい喉もとに侵入してくる。彼女が自分の幸せを確認するそのたびに僕は血を流す。柔らかな肉の間に冷たい刃物の感触がありありと感じられる。僕の夢は血を流して傷つき、慟哭する。
「ねえ、幸せ?」
 今では僕の内側に広がっていたあの豊かな世界は徐々に閉じつつある。
 僕は二度とあの世界で遊ぶことは出来ないのだ。目を閉じればすぐに行くことができたギャツビーの邸宅も、東欧の伯爵が所有する古城の城下町へも、どこへも。
 生まれなかった僕の夢は沈黙の中に消えて行った。僕が幸せなのかどうか、僕にはよくわからない。

 

 

やや長いけど、他の短編小説も公開していますので、よかったら。

(こっちはもっと明るい?話です笑)

jin07nov.hatenablog.com

 

火花の感想も書いてます。よかったらどうぞ。

jin07nov.hatenablog.com



Netflix火花お題「夢と挫折」

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