ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

祝ノーベル文学賞 信頼できない語り手が信頼できる語り手となる時 日の名残り

今年のノーベル文学賞カズオ・イシグロに決定した。
ファンとしてはとてもうれしく思うし、これから日本でもカズオ・イシグロの小説を読む人が増えたらいいな、と思うので、レビューを書くことにした。なぜ彼がこのタイミングでノーベル文学賞を受賞したのか、僕なりに考察してみようと思う。
カズオ・イシグロの著作はとても素晴らしいものばかりだけれど、今回は「日の名残り」を取り上げてみようと思う。

日の名残りは1989年に上梓され、その年の英国最高栄誉の文学賞ブッカー賞に輝いた。
NHKで放送された「カズオ・イシグロの文学白熱教室」でこの小説を一言で述べるなら以下のようになる、とイシグロ自身が解説している。
「完璧な執事になりたがっている男の話で私生活やそのほかのことを犠牲にしてまで完全無欠な執事になりたいと願っている」
そう、この小説の舞台はイギリスであり、主人公は執事なのだ。
見た目は日本人、言葉は英語、そしてふるまいは英国人のカズオ・イシグロは、この小説の中で何をわれわれに伝えたかったのだろうか。

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

 以下、ネタバレを含みます。

 

 


舞台は、第二次世界大戦の記憶がまだ生々しい1956年のイギリス。主人公はダーリントンホールで執事として働くスティーブンスという男だ。彼は現在の主人であるアメリカ人資産家のファラデイ氏の勧めで英国国内を自動車で回る旅行に出る。
スティーブンスはこの旅行をただの物見遊山とは考えておらず、かつて共に屋敷で働いていたミス・ケントン(本当はすでに結婚しているため、ミセス・ベンと呼ぶのが正しいのだが、スティーブンスは未だにこの名前で回想する)と会い、できることなら人手不足を抱えているダーリントンホールに彼女を従業員として呼び戻すことができないかと考えている。

物語はスティーブンスの視点で語られ、1956年の【現在】と20年代、30年代が彼の思い出として行ったり来たりする。
ダーリントン卿という最高の主人に恵まれ、有能なメイド長ミス・ケントンという得難い同僚にも恵まれた『人生最高の時代』を随所で述懐しつつ、現在の主人であるファラデイ氏のフォードに乗ってミス・ケントンに会いにいく旅路が描かれる。

日の名残りは、いわゆる「信頼できない語り手」のスタイルが採用されている。(デイビッド・ロッジ「小説の技巧」でもイシグロの日の名残りが紹介されている)
語り手のスティーブンスはときに記憶違いをし、誇張したり、都合の悪いことに目をつぶったり、本人曰く「なぜか」ダーリントン卿に仕えていなかったかのように他人に嘘をつき、現在の主人であるファラデイ氏の面目をつぶしてしまう。
アメリカ人のファラデイ氏は、ダーリントンホールを『本物の』英国執事とセットで購入したつもりでおり、それを知人夫婦に見せびらかせたかったからだ)

 

しかし、なぜスティーブンスは記憶違いや誇張、回避、そして時として嘘までつくのか?
この謎こそが物語を牽引していく大きな動機となっており、「信頼できない語り手」という技法の核となる。イシグロの本当に表現したいテーマは信頼できない語り手の意志によって巧妙に隠されている。そして、隠されているがゆえに強く私たちをゆさぶる。

 

なぜ彼が信頼できないのか?
それは彼が過ちを認めたくないからである。
彼は自分があくまで有能で類まれな品格をそなえた執事であるということを我々(読者)に印象付けようとしている。執事にとっての品格とは何か?それはすなわち、品格のある主人に仕えることである。スティーブンスは以下のように語る。

 私どもの場合、口幅ったい言い方で恐縮ですが、できるものなら人類の進歩に寄与しておられる紳士にお仕えしたい──その気持ちが以前の世代よりずっと強かったのだと思います。

 

そして人類の進歩に寄与する紳士こそがダーリントン卿なのだと頑なに信じている。

いや、信じていた。
彼は冒頭では信頼できない語り手だが、旅を続けるに従って、さまざまな出来事に出会う。次第に正直になり、徐々にその記述は「信頼できる」ものになっていく。

 

では、スティーブンスが一心に仕えたダーリントン卿とはいったいどのような人物だったのだろうか?本当にスティーブンスが言うように人類の進歩に寄与するような人物だったのか?それともまったく大したことのない小者、あるいはとんでもない悪党だったのか?
ダーリントン卿の人となりを示す以下のようなセリフがある。

 

「ヘル・ブレマンは私の敵だった」と、ダーリントン卿は言われました。「だが、いつも紳士だった。二人は互いに鉄砲玉を浴びせ合いながら、尊敬もしあったのだ。紳士としてやるべきことをやっている相手に、私は悪意はもたない。戦場で一度彼に言ったことがある。『おい、いまは敵どうしだ。ありったけの力で叩き伏せてやる。だが、この戦争が終わったら、もう敵ではない。いつか、いっしょに飲もう』とな。なのに、なんたることだ。この条約は私を噓つきにした。戦いが終わったら、もう敵ではない──私はそう言ったのだ。どうやら違ったようだ、などと、いまさらどの面下げて彼に言える?」

 

卿は負けた相手に対して情けをかける正真正銘の英国紳士だった。少なくともスティーブンスはそう信じている。彼の言う戦争とは第一次世界大戦を意味し、条約とは連合国とドイツの間になされたベルサイユ条約のことを指す。
この条約で敗戦国のドイツはきわめて不平等な講和条約に調印せざるを得ず、この条約によって多額の賠償金を負った。卿はこのシーンにおいて、そのような不平等な条約は紳士としてあるまじき行為だと非難している。 

 

以上のような主義思想を持ったダーリントン卿は、第二次世界大戦の直前に何をしたか?
スティーブンスの厳しい自己検閲によってぼかされてはいるが、ナチス・ドイツに与して、ときのイギリス首相とドイツの駐英大使リッベントロップとの秘密会合をセッティングしていることは確かである。
さらに、卿はナチスと交流することによって自身も反ユダヤ主義に傾き、ダーリントンホールに勤めるユダヤ人従業員を不当に解雇しているのだ。

 

2017年を生きる我々は、ダーリントン卿が間違いを犯したと知っている。作中でアメリカの要人がダーリントン卿のことを、「でしゃばりの素人外交官」だとなじるが、戦後を生きる我々から見ればその指摘は的確である。

 

ではイシグロはダーリントン卿が愚かな素人外交官で、スティーブンスは哀れにもそんな主人につかえてしまった執事だという話が書きたかったのか?
おそらくそうではないだろう。

 

ダーリントン卿は確かに本物の英国紳士であり、本物の品格を備えていた。しかし、彼は過ちを犯した。歴史がわたしたちに教えてくれることは、『当時は誰にも未来のことなどわからなかった』ということだ。
ダーリントン卿はたしかに道を誤り、ナチズムに取り込まれてしまったが、少くとも彼は自分の意志でそれを選び、それが正しいと信じて自らの信念のもとで行動した。
そして、それが誤りだったと気がついたとき、彼は最後の最後にはそれを認め、深く恥じた。それから誤ったやり方ではあるが、「自死」による禊を選び、散っていった。

 

イシグロはダーリントン卿に対してほとんど慈愛に近いような感覚で彼の人生を描いているように思う。愚かだか愛すべき高貴な人物として描写している。

旅の終わりにスティーブンスはいったい何を思ったのだろう。
彼は、ダーリントン卿が自らの意志で選び、自らの責任で行動したのに対して自分は何も選ばず、ただ卿を盲信するだけだったと嘆く。

 

ミス・ケントンとの再会を果たし、かつて彼女が好意を示しつつも職業的無関心を決め込むことで彼女の好意を無下にしたことに改めて気付かされたスティーブンスは、旅の終わりにはすべての鎧が剥がされており、すっかり「信頼できる語り手」に変わっている。
これまで頑なに他人に感情を見せなかったスティーブンスだったが、旅先で偶然出会った地元の男と話しながら、あまつさえ感極まって涙すら見せる。

小さな世界に生きてきたスティーブンスは、それが大きな世界、政治や世界情勢に対し、どのような効果を与えるかについてわからなかった。しかしそれは、首相でもなければ大統領でもない、多くの人間にとって同じことなのだろう。イシグロは決して過ちを犯した人間を罰したいのではなく、彼らを慰撫し、過ちを認めて次の一歩を踏み出す勇気を与えようとしている。

 

旅先で出会った件の男は「あんたの話を俺が全部理解できたとはおもえんが」と前置きした上でこう言う。

 

「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにもたずねてごらんよ。夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ」

 

 

イシグロは人生を実際よりも簡単であるかのように書くことを嫌う。穏やかな筆致で厳しい現実を叩きつける。しかし、彼の小説の根底にあるのはすべての人間を許し、慰撫するような大きな愛なのかもしれない。

 

英国のEU離脱、トランプ政権の強気な外交と北朝鮮の挑発行動、先の見えない世界のなかで、生きていくにはどうしたらいいのだろうか?そのヒントが彼の作品の中にはあるように思える。
彼にノーベル文学賞が与えられたのは僕からみればとても順当な結果だとすら思える。