ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

『クララとお日さま』ネタバレなしレビュー 「愛することの「これまで」と「これから」について 」

忘れられた巨人」以来、六年ぶりとなるカズオイシグロの新刊「クララとお日さま」。
本作の語り手は人工知能を搭載したロボットの「クララ」。彼女は子どもの情操教育のために創り出された人工知能で、その身体を動かすためのエネルギー源は太陽光、つまり「お日さま」だ。
カズオイシグロは、「わたしを離さないで」以来再びSFというジャンルで本を出したことになる。

本書を読み終えて、SFとは、世界の「これまで」と「これから」について語るジャンルなのかもしれないと感じた。
技術の進歩によって多くの恩恵をこれまでに受けてきた。例えば、近視の人には今現在、メガネとコンタクトという選択肢のほかに、レーシック手術という選択肢がある。会議に関しても、直接会って話すことのほかにzoomなどのサービスを使ってオンラインで会話することができるようになった。それ自体は素晴らしいことだ。メガネやコンタクトなしで遠くのものが見えるようになったり、物理的に離れていて会えない人と対面で会話することができる。
だが、感情面ではどうだろうか?何かの理由でそうしたサービスを受けられない場合、どうなるだろう?もしも技術の進歩によって、我々の「これまで」が通用しなくなり、価値観が揺さぶられることになったら?

以下、一応重要なネタバレには配慮した内容になっているけれど本当にまっさらな状態で読みたいひとは避けたほうがいいかもしれません。

 

クララとお日さま

クララとお日さま

 

 

 

 

「クララとお日さま」の世界では格差が拡大している。クララのような高性能なロボット(作中ではArticifial Friendの頭文字をとってAFと呼ばれる)を購入できる子どもはそう多くはない。さらに、「向上処置」と呼ばれるゲノム改編を自分の子どもに施すことが一般的になりつつある。子どもの幼少期の教育がその後の人生に与える影響は現在よりもはるかに大きい世界観のようだ。
クララは向上処置をほどこした女の子、ジョジーのAFとして彼女の家に預けられることになるが、ジョジーの友達の男の子、リックは向上処置を施されていない。そのためにリックは未来が閉ざされてしまったかのように描写されている。ほとんどの大学は「未処置」の学生を受け入れておらず、さらに進学できなければ成人になってから仕事に就くことができないことが示唆されている。作中では明示されていないが、働くことができ、社会と関わることができるのは向上処置をほどこされた一部のインテリ層だけ。未処置の人間は働き口がなく、生活保護のような社会保障を受けつつ社会とは隔絶されて過ごすことになるようだ。ただ、この向上処置には危険がある。このゲノム改編が原因で体調を崩し、場合によっては死にいたる。

本書でジョジーの母親クリシーとリックの母親カレンはひとつの決断を迫られた。それはすなわち、「リスクを承知で向上処置を受けさせ、子どもの未来を切り開く」のと、「未来が困難になるのを承知でリスクを回避する」ことだ。ジョジーの体調は物語が進むごとに悪くなる。また、リックは未処置の学生を受け入れてくれる大学への入学のために奔走する。二人の母親、クリシーとカレンは二人とも別の決断をしたが、互いに苦悩することになる。

「もしも相手を本当に愛しているのなら、どのように決断するべきだったのか?」
この小説は形を変えながら何度も何度もこのように問いかけが続く。クリシーとカレンはもともとは仲のいい友達同士だったようだが、この問題に関しては感情的なわだかまりがあるようだ。
ジョジーに向上処置を施したクリシーは言う。「子どもの未来のためを思えば、リスクを受け入れて処置をするのが親の愛」と。しかし、向上処置の危険を知ってリックに向上処置を施さなかったカレンは、親として愛が足りなかったのか?これは誰も簡単には答えを出すことのできない問題ではないだろうか。技術の進歩によって選択肢が増えたとしても、結局のところ選択肢を選ぶのは人間だ。そこには必ず「感情」が挟まれることになる。

クララは人間の感情を理解した人工知能だ。彼女の語りは少し奇妙だが、我々人間のように意識と自我、そして感情を備えた存在のように見える。
彼女の語りが奇妙なのにはもちろん意味があるし、彼女がことあるごとに「お日さま」を擬人化するのにも意味がある。彼女の目を通して描かれる世界は、無垢で優しく、それでいて奇妙でミステリアスだ。クララは本来子どもの情操教育のために作られた人工知能だが、その性能は人智をはるかに凌駕してしまっており、優れた科学者や技術者ですら彼女の思考プロセスを解析することはできない。
クリシーはクララに初めて会った時、「テスト」と称してクララの歩き方を真似させる。クララはジョジーには歓迎されるが、リックや、家政婦のメラニアからははじめのうち毛嫌いされる。それぞれの登場人物の思惑が、世界に生まれたばかりの無垢なクララのまわりに渦巻いている。

イシグロの著作は比較的平易な文体が採用されるが、内容は決して平易ではない。「なんのためにクララがジョジーの家に来たのか」そして「お日さまとは一体なにを意味するのか」想像力を膨らませながら本書を読んだ。イシグロの作品を読むことで得られる読書体験はいつも他の作家では味わえない唯一無二のものだ。このように想像力を膨らませながら頭を使って読んで、しかも読み終わったときにその期待が裏切られたことは一度としてない。そして、本書も読み終わった人はきっとよみ終わった人同士で語り合いたい気持ちになる。もし自分が登場人物の誰かだったら、どういう決断をするだろう?そう考えながら読むのが楽しい本だ。