ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

読む瞑想「ねじまき鳥クロニクル」

 

村上春樹が好きです、と言うとしばしば話題になるのが、あれだけ毎年とるとると言われているにもかかわらず、なぜ村上春樹ノーベル文学賞を取れないのか?ということだ。
その質問に対してのぼくの答えは簡潔で、いつも「政治的イデオロギーがないからでしょう」と答える。


そうやって答えると、いやいや、戦争を話題にした話はあるじゃないか、例えば「ねじまき鳥」となる。

 

イデオロギーというのは思想のことで、思想とは行動を左右するものだ。
そういう観点で見たとき、ねじまき鳥に政治的イデオロギーがあるか?ともう一度聞かれれば、ぼくはやっぱり「ない」と答える。

 

では、例えば、昨年(2017年)にノーベル文学賞をとったカズオ・イシグロ。彼の小説には政治的イデオロギーがあるのか?と問われれば、ぼくは「ある」と答える。でも、べつに政治的イデオロギーがないからと言って、この小説が劣っているというわけではないと思う。

 

春樹とイシグロではアプローチの仕方が違うのだ。
すごく乱暴に言ってしまえば、カズオ・イシグロは「戦争という人類最大の悲劇に見舞われたとき、私はどう行動すればいいのか?あるいは、何を行動すべきでないのか?」という原則で書かれているのに対し、村上春樹は「戦争という人類最大の悲劇に見舞われたとき、私はどう感じるのか?何を思い、どう行動するのか?」という視点でアプローチしている。

 

 

村上春樹全作品 1990~2000 第4巻 ねじまき鳥クロニクル(1)

村上春樹全作品 1990~2000 第4巻 ねじまき鳥クロニクル(1)

 

 

 

村上春樹全作品 1990~2000 第5巻 ねじまき鳥クロニクル(2)

村上春樹全作品 1990~2000 第5巻 ねじまき鳥クロニクル(2)

 

 

 

 


そもそも、戦争と文学の関係はとても深いものだ。

トルストイ 戦争と平和
ヘミングウェイ 武器よさらば
ジョージ・オーウェル カタロニア讃歌
大岡昇平 野火

このあたりの作家は自分が実際に戦争に参戦し、そのときの様子を克明に描いた小説で、世界的にも高い評価を得ている。
中でもヘミングウェイは文学的な着想を求めるために自ら志願して戦場に戻ったという説もある。

ここで注目すべきは、村上春樹は現在69歳(1949年生まれ)、カズオ・イシグロは現在63歳(1954年生まれ)で、どちらも直接自分たちが戦争に参加していたわけではないということだ。生まれたときにはすでに決着がついていた。直接自分たちは戦争を知らない世代だと言える。

イシグロの代表作「日の名残り」では、主人公の執事は英国内で有力な権限を持っていたダーリントン卿という紳士に仕えていたが、彼は終戦後、ある理由から過去にダーリントン卿につかえていたということを隠そうとする。
ダーリントン卿という人物は、おそらく1919年、第一次世界大戦終結後に締結されたベルサイユ条約というドイツが圧倒的に不利な停戦条約に対して、こんなセリフを残している。

 

「ヘル・ブレマンは私の敵だった。だが、いつも紳士だった。二人は互いに 鉄砲玉を浴びせ合いながら、尊敬もしあったのだ。紳士としてやるべきことをやっている相手に、私は悪意はもたない。戦場で一度彼に言ったことがある。『おい、いまは敵どうしだ。ありったけの力で叩き伏せてやる。だが、この戦争が終わったら、もう敵ではない。いつか、いっしょに飲もう』とな。なのに、なんたることだ。この条約は私を噓つきにした。戦いが終わったら、もう 敵ではない──私はそう言ったのだ。どうやら違ったようだ、などと、いまさらどの面下げて彼に言える?」

カズオ・イシグロ; 土屋 政雄. 日の名残り (ハヤカワepi文庫) (Kindle の位置No.1213-1219). 早川書房. Kindle 版.

 

不平等な講和条約は争いの火種になる、というのは後のナチス・ドイツの台頭を見ればわかる。そのことはドイツの哲学者であるカントが「永遠平和のために」という本で指摘している。(しかも、1795年、つまり世界大戦の前に!)そしてそれは国連の創設に関わっているのだということだ。

 

話は日の名残りの世界に戻る。

イギリス国内では、そして、あるいは主人公の執事、スティーブンスもダーリントン卿の行動が全て間違っていて、そのために人生を棒に振ったのだ、と思いこんでいる。


読んでみるとわかるが、イシグロはダーリントン卿を非常に魅力的に描いている。にもかかわらず欧米の評論家であるデイビッド・ロッジが、「無能な主君を持って人生を棒に振った男の話」と書いていたのにはのけぞったが、欧米圏のナチス・ドイツに対するアレルギー反応を考えるとさもありなんだろう。なにせ、若いギリシャ人サッカー選手がゴールを決めたあとでナチス式敬礼をしただけで永久追放になるくらいなのだから。

 

では、翻って、村上春樹の書いたねじまき鳥クロニクルはどうか?

1904年日露戦争に勝利した日本軍は当時ロシアの領土だった満州における、南満州鉄道の権利を獲得した。その後1932年、満州に傀儡政権を打ち立てて中国から分離独立宣言した。

 

日本という国は国土が狭く、海に囲まれ、避難しようにもすぐ後ろが山なので逃げ場がない。つまり、本土決戦に入れば即敗北という地勢であり、国防上満州国は非常に重要だった。

 

また、満州は中国、ロシア、モンゴルの国境に接しており、ノモンハンはハルハ河で、モンゴル領と接しており、国境侵犯は日常茶飯事に起こっていたらしい。

 

満州国の占領が防衛戦なのか、侵略戦なのかは意見が分かれるが、村上春樹はこれに対して、いいとも悪いとも書いてない。間宮中尉の視点で、国を守るためならともかく、こんな何もないところを守って死ぬのはやりきれない、というようなセリフを言わせているにすぎない。

 

ところで、村上春樹はこの小説をアメリカにいるときに書いたのだそうだ。
1991年ブッシュ政権イラク バグダッドへの空爆を指示した年に春樹は渡米してねじまき鳥を書き始めた。つまり、戦争へ向かう異常な興奮状態の雰囲気を持ったアメリカの中でこの作品を書いた。


にもかかわらず、村上春樹の政治的な意見、主義が見えるような物語にしていない。

 

はじめに彼が初稿をかきあげたとき、1200枚に及ぶ長大な話で(ふつう、長編松江説は350枚〜400枚程度なので、それのおよそ三倍から四倍)、春樹はこれを「ねじまき鳥クロニクル」と「国境の南太陽の西」に別けたと、全作品集の解説にある。(つまり、ねじまき鳥の岡田享と国境の南のハジメは同一人物だった)

また、ねじまき鳥クロニクルの岡田享は、改変にあたり、バックグラウンドを大幅に削った。なぜか?「暗示的になるようにした」からだ、と本人は書いている。

 

バックグラウンドを削った、というのはこの小説にとって、あるいは村上春樹という作家の方向性を定めるものになったのではないかと思う。

 

仏教で欲望を捨てて不安や不幸を取り除くことを解脱するというが、まさに村上春樹が自身の小説でやろうとしているのはそういうことではないだろうか?
日本人であり、男性であり、30代であり、夫であり、という個人の属性をすべて取り去ったところに真実があるのではないかと考えているように思う。
そのために岡田享は井戸に潜ったのだと思うし、村上春樹は自分の小説を「深い井戸を掘る」と例えているのだと思う。

 

では、どうして自分を捨てて、深い井戸を掘るのか?そしてその先に何があるのか?
極めて暗示的なシーンが続くこの小説のなかで、珍しく春樹の小説家としての「肉声」が混じっているのではないか、と思われる部分があるので引用したい。
北海道のバーで、流しのギタリストが歌い終えて聴衆に向かってあるデモンストレーションをする前に言ったセリフだ。

 

自分の痛みは自分にしか分からないと人は言います しかし本当にそうでしょうか。
私はそう思いません。 例えば誰かが本当に苦しんでいる光景を目の前にすれば私たちもまたその苦しみや痛みを自分自身のものとして感じることがあります。それが共感する力です。お分かりですか。 人が歌を歌うのも共感する力を持つたいと思っているからです。自分という狭い殻を離れ多くの人々と痛みや喜びを共有したいと思うからです。
でもそれはもちろん簡単なことではありません。 だから皆さんにここで言えば一つの実験としてもっと簡単な物理的共感を体験していただきたいのです。 

 

これは村上春樹という小説家のその後の方針にも大きな影響を与えているのではないかと思う。
そして、これよりは直接的ではないものの、笠原メイからの手紙。

 

かわいそうなねじまき鳥さん あなたは自分を空っぽにして失われたくみこさんを一生懸命救おうとした。 そしてあなたは多分久美子さんを救うことができた。そうね ?
そしてあなたはその過程で色んな人たちを救ったでもあなたは自分自身を救うことはできなかった。そして他の誰もあなたを救うことはできなかった。

 

注目すべきは、ギターの男の「自分という狭い殻を離れ」と、笠原メイの「自分を空っぽにして」という部分だ。

 

カズオ・イシグロがあくまでも英国人としてどう振る舞うか?というアプローチであるのに対して、村上春樹は個人という枠を離れて考えてみたらどうか?というアプローチをとっているようにぼくは思う。

 

人の心に触れられれば、どんな作品であっても文学だと思います。
そこに真実のエモーションがあるかどうかが、文学か否かなのだと思います。
というのはカズオ・イシグロの言葉だが、まさにそのとおりで、春樹とイシグロでは人の心にどう触れるのか?というアプローチが違うのだと思う。

 

終戦から73年の8月。もう一度あの戦争について考えてみるのもいいかもしれない。あれは一体なんだったのだろう?世界中で一体なにがおこっていたのだろうかと。

 

日の名残り単独の書評はこちらです。

jin07nov.hatenablog.com