ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

神は味方? CLIMAX

この映画からなにか教訓のようなものを得ようとしてみたのだけど、たぶんそんなことをすれば、単純にLSDは怖い、くらいの警察の標語みたいになってしまうような気がする。でも、無粋を承知でこの映画の持つメッセージについて考えてみようと思う。

まず、ぼくはダンスを踊れないし、クラブにもいかない。一度行ったことはあるけど、どうやって楽しんだらいいのか分からなかった。だからそのときはクラブで楽しんでいる人を観察していた。

男のひとが女の子をナンパしていたり、露出のある衣装を着た女の子や派手で洒落た服の男性がいたり、なにか日常と違う雰囲気があった。でもクラブを楽しんでいる彼らから感じたのは、「なにかを譲渡している」という感覚だ。何を、何に譲渡しているのか?

それは自分自身の身体のコントロールを、自分よりも大きな何かに譲渡している感覚だ。音楽に合わせて身体はリズムを刻み、知っている人も知らない人も同じダンスフロアでその一体感を楽しむ。トランス状態という言葉があるが、理性を捨ててそういう状態になれる人の方がよりその場を楽しむことができるのではないかと思う。

 

映画「Climax」の中で、全員が参加するダンスのシーンがあり、そのクライマックスで「神は味方」という決め台詞があった。その言葉が妙に心に残った。何かこの作品の根幹をなす言葉なのではないだろうか。そして、かつて全く逆のことを言った人がいたことを思い出した。

「神は死んだ」

ドイツの哲学者 フリードリヒ・ニーチェの言葉だ。


97分間堕ちまくれ!ギャスパー・ノエが放つカオスを刮目せよ/映画『CLIMAX クライマックス』予告編

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流れの滞留する場所 「レキシントンの幽霊」

この短編集の全体的なイメージは「滞留」だ。

まずは、レキシントンという街について考察してみたいと思う。
レキシントンの幽霊」の舞台になったレキシントンケンタッキー州にある人口26万のレキシントンではなく、マサチューセッツ州ボストン郊外にある人口約3万人のレキシントンだ。大都市ボストンへのアクセスは車でおよそ30分ほど。住みやすい瀟洒ベッドタウン、と言ったイメージではないかと思う。
レキシントンアメリカの中でもあまり有名な街ではない。だからといってこの短編の題名を「ボストンの幽霊」にしてしまうとかなり作品としての趣きが変わってくる。「レキシントンの幽霊」という表題で伝わってくるのは静かな郊外のイメージだ。

村上春樹がどこかしら舞台設定として街を想定するとき、その街が流動的か、それとも滞留しているか、という点を念頭においているように思う。彼の生まれ育った芦屋市は神戸市の郊外にある高級住宅街であり、今彼は神奈川に居を構えていると聞く。ボストンと、神戸、それから神奈川の共通点は、港が近いことだ。人の流れは流動的で、新しい文化は海を超えて来るし、人の入れ替わりも激しい。では、郊外はどうだろう?そこはまるで台風の目のように静かで流れの滞留した場所なのかもしれない。神戸市と芦屋市、それにボストンとレキシントンという関係性が彼にこの作品を書かせた要因かもしれない。

 

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

 

 

 

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世界が私を愛さないなら私も世界を愛さない「ジョーカー」

久しぶりにすごい映画を見た。
アメリカではこの映画の公開に先駆け、警察と軍が警戒態勢に入った、とCNNが報じた。そのくらい影響力のある映画だ。

https://www.google.co.jp/amp/s/www.cnn.co.jp/amp/article/35143225.html


ヒッチコックトリュフォーの対談集である「映画術」という本のなかで、観客は登場人物の善悪には関係なく、スクリーンに映った人物に感情移入してしまうという指摘があった。
例えば、泥棒がどこかに侵入して何か盗み取ろうとするシーンを描いたとする。そこに家主が入ってきて犯行が見つかりそうになると、観客はつい泥棒のほうに感情移入してしまい、「捕まらないで」と思ってしまうのだという。

これは我々のもつ「共感」のなせる業だ。我々は生まれてから死ぬまで、「共感」無しに生きることはできない。映画や小説、漫画にゲームなどのフィクションを楽しむためにも「共感」は使われるし、誰かと信頼関係を築くためには「共感」の力を使わなくてはならない。仕事やプライベート、趣味の集まりに至るまで、「共感」の能力こそが信頼関係を築く鍵となる。

この力は強力だ。共感のために命を投げ出すものまで現れる。しかし、強力すぎる効果を持つものは逆に命取りともなりうるのではないかと思う。ちょうど抗生剤として有用なペニシリンがしばしばアレルギー反応で人を殺すように、「共感」は我々にとって優秀な道具であるとともに致命的な脆弱性にもなりうる。

「ジョーカー」は一体、何を伝えようとしていたのか?それを考えていきたいと思う。


『ジョーカー』心優しき男がなぜ悪のカリスマへ変貌したのか!? 衝撃の予告編解禁

 

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