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ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

賢明さなど犬に喰わせろ 深夜特急1 香港・マカオ

 

 第一子だったからなのか、わりと両親からやめなさいと止められることが多い子ども時代だった。あれは危ないからダメ、こうしたら失敗するからこうした方がいい。自分の経験から息子が失敗や挫折を味わうことがないように配慮してくれているというのはよく分かる。

 失敗してはいけないという気持ちが強くなるにつれて、チャレンジしたいという意欲も損なわれていった。休日は家にいて、どこにも出かけたくないし、新しいことをは始めるのは、うまくいかなかったら嫌だからやりたくない。

 でも、旅にでるようになって、リスクを取ることの目もくらむほどの自由を味わった。誰も僕のことを知らないし、失敗したって誰も僕を笑わない。訳知り顔で忠告してくるような人もいない。開襟を開いてその土地の人間に助言を乞えば、適度な距離感を保ちながら快く教えてくれる。もちろん、それが間違っていたり、煙たがられたりすることもあるにはあるけれども。

 僕は旅が好きだ。半年で17カ国ヨーロッパの国々を回ったこともある。今はすっかり落ち着いてしまって、ふらっと旅に出たりはしていない。その時の気持ちも随分と色あせてしまったように思う。ところが、沢木耕太郎の名著、深夜特急を読んで、何がそのときの自分を突き動かしたのか改めて分かった気がした。

 

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

 

 

 マカオに到着した時の描写に、ありきたりな説明をするのではなく、猥雑な路地で犬が交接している風景を持ってくるあたりに、作者の感性と洞察の深さがかいま見える。
旅って、本で読む知識とは違うのだ。その時に偶然起こった何が自分の心の琴線を動かしたのか、心の動きを中心に描くので、驚きがあるし、ドラマが生まれる。この本が様々な紀行文のお手本として読まれているのも頷ける。

 

 人を信用するか、それとも怪しい者として回避するか、それは経験を重ねないとやっぱりよくわからない。疑ってかかれば騙されることはないけれど、やはり人に聞くのが一番はやいし、自分の知らない素晴らしい経験を、もたらしてくれるかもしれない。

 沢木氏は事前にほとんど計画を立てず、そのときどきで風に任せ、自分の感情の赴くままに行動するし、そこで出会った人の誘いにふらっと乗ってみたりする。随分と危うげに見えるけれど、最終的には自分の判断にまかせて行動する。そうやって自らのみをよりどころとして行った経験というものは、それが成功であれ、失敗であれ、自分の糧になっていく。挑戦しなければ失敗しないけれど、失敗しなければ成功もしない。笑顔で近づいてくる人間は確かに怪しいが、一人では生きていけないというのもまた真実だ。

 

 マカオで多くの路銀をスってしまった沢木氏は、博打を続けて路銀を取り戻すか、それとも高い授業料だったと諦めてホテルに戻るか考えたときに、主題のように考える。この文章を読んだ時に、すっと腑に落ちるような感覚を覚えた。そうだ。もともと中途半端な賢しさなんか、身につけていられないからこそ、この酔狂な旅をしているのだ。ちょっと長いけれど、以下に引用する。

 読み終わればきっとあなたも旅に出たくなる。賢明さなど、犬に喰わせろ!

 

なくなれば旅を続けられなくなる。だが、それなら旅をやめればいいのではないか?私が望んだのは賢明な旅ではなかったはずだ。むしろ、中途半端な賢明さから脱して、徹底した酔狂の側に身を委ねようとしたはずなのだ。ところが、博打という酔狂に手を出しながら、中途半端なまま賢明にもやめてしまおうとしてる。(中略) 博才の有無などどうでもよいことだ。心が騒ぐなら、それが静まるまでやり続ければいい。賢明さなど犬に喰わせろ。