ほんだなぶろぐ

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あなたのおうちはどこですか?「ことばと文化」 鈴木孝夫

イギリスからドイツに移り住んで、ほとんど知識のないドイツ語を勉強していると、日本語や日本文化の違いについていろいろと思うところがある。

 

例えば英語やドイツ語で「さようなら」を意味する「Good bye」や「Auf Wiedersehen」(アウフヴィーダーゼン)という言葉は初学者がかなり早い段階で習うが、実際イギリスや、ドイツで生活しているとあまり使われないことに気が付く。おそらくだが、その理由は、この言葉に二度と会わないようなニュアンスが含まれるからではないかと思う。

 

だから英語では「See you (tommorrowやMonday)」、ドイツ語では「Tschüss」(チュース)や「Ciao」(チャオ)なんかを代用として使う。ただ、よく考えてみると、日本でも「さようなら」はあんまり言わない。たぶん、その理由はほかの国とおなじく、もう二度と会わないニュアンスがあるからだと思う。

 

 

 

じゃあ日本語で「さようなら」の代用としてよく使うのは何か、と考えてみると、夜なら「おやすみなさい」 (飲み会の帰りとかで使う)。あるいは「お疲れ様」(職場の人に使う)親しい間柄なら「じゃあね」とかだろうか。この挨拶なら二度と会わないニュアンスはない。

 

これらの言葉を完全に英語やドイツ語に置換するのは難しい。例えば、「お疲れ様でした」は、基本的に友達同士で使うとちょっと変だし、ましてや家族には使えない。これをさよならに代用する場合、相手は職場の人など、「一緒に何か作業をした人間」に限られる。

 

ところでこの「お疲れ様」は「さようなら」以外にも「こんにちは」の代用にも使えるが、実はドイツにもこれによく似た「職場語」があって「Mahlzeit」(マールツァイト)という。本来「食事」という意味だが、職場で、しかも11時ごろから15時ごろまでしか使わないらしい。日本語の「お疲れ様」同様、家族や友達同士の挨拶としては使わず、使える相手は職場の人で、使える場所は職場のみなのだそうだ。しかし、例えば職場の近くのパン屋さんなどで同僚に会った場合にも使える。(実際に言われたこともある)そのあたりの感覚は「お疲れ様」という日本の挨拶に近い。ただ、日本語の「お疲れ様」は一日中使えて時間の制限がないので、「Mahlzeit」(マールツァイト)と「お疲れ様」に完全に互換性があるわけではない。

 

また、さよならの代用としての「おやすみなさい」だが、実はイギリスやアメリカの場合は「Good night」をさよならの代用として使う。職場から帰るとき、イギリス人やアメリカ人は「Good night」と言って帰っていく。(もちろん「See you」を使う人もいる)

 

ただ、この「おやすみなさい」も日本語と完全に互換性があるわけではない。

日本の場合、まだ外が明るいうちに解散した場合は「おやすみなさい」とは言わない。(もし相手に言われたら(まだ寝ないけどな……)という違和感があるのは、きっとぼくだけではないはず……。)

 

しかし、例えばイギリスではサマーシーズンは21時ごろまで明るいが、16時半のまだ外が明るい時間でも「Good night」と言って帰っていく。また、ぼくの知る限りドイツの職場では、ドイツ語の「おやすみなさい」に相当する「Gute Nacht」(グーテナハト)をさよならの代用として使う人はいない。

 

外国語を習得するとき、我々は自国の言葉と置き換えようとするが、ことばと文化というものはかなり密接にくっついているので、文化が違えばその言葉の意味も変わり、完全に置き換え可能な言葉は少なくなる。本書ではそういう例がたくさん出てくる。

 

また、逆に英語やドイツ語ではめちゃくちゃよく使うのに、日本語ではほとんど使わない言葉もある。それは例えば「あなた」だ。英語では「you」、ドイツ語では「du 」または「sie」にあたるいわゆる「二人称代名詞」は、日本語ではほとんど使わず、回避される。

 

英語では人に何か頼むときには Could you ~ ?などとビジネスシーンでもyouを多用するが、例えば日本の職場で「この依頼メールをあなたが送ってくれますか?」と同僚に言うだろうか?    この文章は日本語の文法的には誤りではないのだが、心理的には「あなたが」の部分を回避して「この依頼メールを送ってくれますか?」と直したくならないだろうか?

(もちろん、このメールをおくるのは相手の責任であり、何度お願いしてもやってくれない、など、なんらかの理由で強調したい場合にはあえて「あなたが」と言うかもしれない。ただし、相手が上司や先輩など、目上の人だった場合には、使うのはかなり抵抗があるのではないだろうか?)

 

「ことばと文化」の中で、著者の鈴木氏は日本人は2人称代名詞に限らず、ほかの人称代名詞に関しても回避しようとする傾向がある、と指摘している。その理由は、自分以外の誰かと「同化」し、「甘える」日本固有の文化にあるのだそうだ。

 

例えば、童謡「犬のおまわりさん」で、犬のおまわりさんが「あなたのおうちはどこですか?」と迷子の子猫ちゃんに聞くが、実際に自分が迷子に話しかける時にそういう言葉遣いはしないのではないだろうか。やはり、二人称代名詞である「あなたの」を回避したくなってくる。

 

あなたが犬のお巡りさんだとする。迷子の子猫ちゃんのお母さんを一緒に探しているときに、ようやくお母さんが見つかったとして、「あなたのお母さんがみつかったね」と子猫ちゃんに言うだろうか?    おそらく「お母さんがみつかったね」と(あなたの)を回避する。

 

これは英語話者にとってはどうも奇妙に映るらしい。あの「お母さん」は「迷子の子猫ちゃんのお母さん」であって、「犬のお巡りさんのお母さん」ではない。では、このとき、犬のお巡りさんであるあなたは、単純に「あなたの」を省略しているのだろうか?

 

鈴木氏によれば、このとき日本人は明示の事実であるから「あなたの」を省略しているわけではなく、犬のお巡りさんであるあなたが、迷子の子猫ちゃんに「同化」してしまっているから「あなたの」を回避するのだそうだ。

 

同様に、例えば4人家族(お父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹)を思い浮かべてほしい。このとき例えば、「お母さんはどこ?」というセリフを、お父さんも自分の家族を相手に言うことができる。むろんこの場合の「お母さん」とはお父さんにとってのお母さんではなく、お父さんにとっての妻にあたる。この用法は「お父さん」も同じように使えるし、「お兄ちゃん」も同じように使えるが、「妹」はその限りではない。つまり、この4人家族は、この中で一番幼い妹と同化しており、この場合のお母さんとは妹のお母さんであり、お父さんでありお兄ちゃんである。だからあえて「あなたのお母さん」とは言わない。これは諸外国にはない日本独自の文化体系だ。

 

相手と同化し、同調してしまう日本特有の文化は、いい面もあれば悪い面もある、と鈴木氏は述べている。ぼくは個人的に日本社会を住むのにどこか息苦しい場所ととらえていて、その理由について興味があるので、今後も引き続き調べていこうと思う。