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ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

共感は劇薬 帰ってきたヒトラー

うっかり言った冗談で誰かを傷つけてしまって後悔した経験がないだろうか?

普段は言わないようなことを言ってしまって、なんであんなことを言ってしまったのだろうと頭を抱えた経験が僕にはけっこうある。

エスカレートしていくと口数が多くなって調子に乗ってしまう特徴が僕にはあるので、そういう経験が多い。ウケを狙って言わなくていいことを言ってしまう。

帰ってきたヒトラーは、コメディだ。2012年のベルリンに、突如本物のヒトラーがタイムスリップしてしまったらどうなるか?

第二次世界大戦での思想をそのまま受け継ぎ、話し方も、仕草も本人。
でも、誰も彼が本物のヒトラーだとは思わない。
だから、彼の思想はそのままで、それを熱く語ったとしてもジョークだと思われる。しかも、ドイツ人に人気が出てしまうのだ。

 

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

 

 

テレビに出たヒトラーは、演説のうまさと、「本人そっくりの演技」、そして彼の主張にも一理ある、という洞察の鋭さから人気を博す。

過去の時代の人が現代にタイムスリップする筋の映画にテルマエ・ロマエがあったけど、あれは一方的に古代ローマ人が現代日本の技術に驚いているだけだった。古代ローマ人は遅れていて、現代日本人は進んでいる。その図式から出ていない。

帰ってきたヒトラーの白眉は、ヒトラーがタイムスリップ後すぐに新聞やインターネットで現代情勢を把握することだ。ヒトラーは、現代のドイツが抱える移民問題に目をつける。

ヒトラーは本気で世界征服を狙っており、アーリア人こそが優れた民族だという選民思想にとらわれ、ユダヤ人やその他の国からの移民を憎んでいる。

劇中彼はその理念の実現のためであれば、自ら道化になっても構わないと発言する。

実際にWW2前、ヒトラーが歴史の表舞台に現れたとき、はじめはみんな笑っていた。彼の思想はたんなる大言壮語とされ、誰もそれが実現するとは思っていなかった。

過去でも現代でも、彼はなぜ人気を博したのだろうか?それは、彼の主張が極端ではあるものの、人々の共感を得たからだと思う。

移民問題にゆれるドイツは、治安の悪化、子供の貧困、老人の貧困という社会問題を抱えている。移民を排斥して自国民だけをケアしたい、という本音と、過去のホロコーストの歴史から、そんなことはとても言い出せないという対外的なポリティカルコレクトネスの間で揺れている。

口に出すことがはばかられる内容であっても、ジョークなら許される。みんなうっすらと思っていたことを誰かが口に出したことで、言ってもいい空気が生まれる。

移民の排斥は、ユダヤ人の排斥に似ている。一部のドイツ人は本音では彼ら移民に反感を持っている。しかし、WW2時の暴走の経験から、それが言えない雰囲気になっている。

そして、冒頭に戻る。
うっかり冗談で他人を傷つけてしまったことがある人はわかるだろう。帰ってきたヒトラーで、現代に蘇ったヒトラージョークの本質は、『共感』である。みんなが本音では思っていたことを、道化たるヒトラーが代弁してくれる。そのカタルシスが笑いへとつながるのだ。そして、共感とは劇薬である。共感による笑いは相手との連帯感を産み、幸福度を押し上げる。そうした意味においては共感とは一種の麻薬であり、正常な判断と想像力を失わせるほどの力をしばしば発揮する劇薬でもある。

まずは、「そんな際どいことを言ってもいいんだ、そして、言ったらウケるんだ」という承認から、最終的には「ドイツ人全員がそう思っているに違いない」という空気が醸成される。学校でのいじめもこんな風に形成されるんじゃないだろうか。

ヒトラーは、自分が現代のドイツ人にコメディアンだと思われていると気づきつつも、それを許している。なぜなら、理念の達成のためには道化になることも厭わない、というのが彼の考え方だからだ。物語ではヒトラーが最終的に現代ドイツをどう導いていくのかまでは描かれてはいない。しかし、彼の導く先は決して明るい世界ではないだろうと予想がつく。


共感が麻薬のように人を支配するからと言っても、人は共感なしには生きていくことはできない。この劇薬に打ち勝つにはどうしたらいいのだろうか?
そのためには想像力を働かせる。ただそれだけしか道はない。過ちを犯したのなら、なんどでも立ち戻って想像力を働かせる。優れたフィクションやルポルタージュは多分、そのために存在するのだから。