ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

限りなく続く自由への闘争 「ロンググッドバイ」

 

ロンググッドバイを筆頭とする探偵フィリップ・マーロウシリーズにおける最大の謎とは、小説家のミステリアスで美しい妻でもなければ、警察権力とマフィアの闘争でもなく、総白髪の礼儀正しい酔っぱらいでもない。それは、主人公であるフィリップ・マーロウ自身ではないだろうかと思う。彼がどういう人間なのか、どうしてこれほどまでに他者と戦い続けるのか? 作中で彼は相手の意図を跳ね除け、挑発して揺さぶり、組み伏したり、逆に打ちのめされたりしている。マーロウシリーズは闘争の連続である。マーロウは誰とも仲良くならない。心を通わせることができない。ひととき心を通わせた、と思ってもそれは一過性のもので、すぐにまた闘争の中へ突き進む。

 

彼は雄弁でありながら、同時にミステリアスな語り手でもある。彼の意図は説明されず、ただ読者が彼の心のうちを斟酌するしかない。さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ、などの美しく感傷的な台詞を吐くところからも他人と心を通わせることを渇望していることを匂わせるが、それでも彼は人と同調することをしない。

ぼくはこの作品を通して読むことでドイツの哲学者エマニュエル・カントの言葉を思い出した。「平和の反対とは、戦争や闘争ではなく『自由』である」と。つまりこの本とは、「自由」と「自由」の衝突なのではないだろうか?

以下ネタバレを含みますので注意。

 

 

 


自由とは、自らに由ると書く。自らが課したルールや方針を自らが守ることを自由だと定義できる。個人の自由と公共の福祉の衝突もしばしば発生するので、そのためにあらゆる法律ができる。例えば刑法や刑事訴訟法がそれにあたる。これは市民と警察、犯罪者の3つの「自由」の衝突の結果ではないだろうか。

 

マーロウは妻殺しの容疑者テリー・レノックスの逃亡を幇助した疑いでロサンゼルス市警に逮捕され、留置所に入れられたが、のちに捜査権が検察に移る。マーロウは、一言、「テリーとはその日は会っていない」あるいは「テリーを送ったが、殺人事件に関与しているとは知らなかった」と嘘を言えば逮捕されなかっただろうが、そうはしなかった。

 

検察は通常捜査機関である警察からの捜査情報を受け取り、証拠が十分だと判断すれば立件、起訴して裁判になる。警察に起訴する権限はないが検察は必要だと判断すれば直接捜査することができる。検察に捜査権が移ったのは、被害者の父親であり財政界の大物ハーラン・ポッターに忖度した結果だとマーロウは考えている。


裁判で有罪が確定するまではまだ「罪人」ではなく容疑者であり、起訴前は留置所で最大48時間拘留されて取り調べを受ける。この際、取り調べの間自分の不利益になることは話さなくてもよいという「黙秘権」がある。それは、拷問などで違法に入手した情報を証拠として裁判してはいけないという原則があるからだが、マーロウは明らかに警察や検察から「こづき回されて」いる。

 

警察に対して嘘の供述をしたとしても実は罪にはならない。しかし、法廷で宣誓した後に嘘の証言をすると「偽証罪」として罪に問われる。マーロウは法律家としての知識があるので、このあたりは意識して言動している。それを知った上で、嘘はつかずに黙秘権のみでその場を乗り切ったところに彼の覚悟が垣間見える。

 

ルールがあったとき、どれを守り、どれを守らないか、という判断は完全にマーロウ本人が決めている。そこには一定の哲学があり、方針がある。公共の福祉たる法律は守るが、その埒外にある警察、検察の暗黙のルール、スターやメンディなどのマフィアのルール、ポッターなどの大物のルールは、彼の「自由」のためであればことごとく無視をし、その結果争いとなる。

 

本書におけるもう一つの謎は、なぜマーロウがテリー・レノックスとの友情を結び、最後にはそれを手放したのか? ということだ。なぜレノックスに惹かれたか、といえば、それはマーロウが彼の中に自分自身を投影していたからではないかと思う。レノックスも、マーロウと負けず劣らず自分自身の規範にがんじがらめになっているからだ。そういう意味で、マーロウとレノックスとは「戦友」同士だったのだ。

 

「友だちならいる 」と彼は言った 。 「ある種の友だちはね 」 。彼はグラスをテ ーブル上で回した 。 「しかし誰かに助けを求めるのは簡単なことじゃない ─ ─とくになにもかもが自分のせいだというような場合には 」

 

しかし、マーロウは最終的にレノックスと仲違いすることになる。レノックスはそれを、あまりに帰るのがおそすぎたからだ、と思っているが、時間は関係がないのではないか。ぼくが思うに、マーロウが決してレノックスを許さなかったのは、レノックスがあらゆる「責務」を放棄したからだ。レノックスはアイリーンと対峙することから逃げた。ハーラン・ポッターからも逃げたし、シルヴィア・レノックスからも逃げた。殺人があったあとで、徹底的に戦い、真実を明らかにすることだってできたのに、彼は仮初めの自由を求めて逃げ出した。マーロウは戦う人である。自由とは、戦った末にもたらされるものだという信念がある。しかし、レノックスはそれと正反対のことをした。弱い者であればマーロウは守ろうとするが、狡猾なものに対してマーロウは嫌悪感を隠さない。

 

マーロウがこれほど多くの人に支持されるのは、あらゆる権力から自由であるからだからじゃないだろうか。そして、その「自由」とは手放しで素晴らしい概念などではなく、あらゆる責務があり、孤独という代償があり、闘争して勝ち取るもの、という真理がある。自由の輝かしい面だけでなく、そのアンチテーゼとなる悲哀をも見事に表現しているからこそ、マーロウという探偵がこれほど多くの人から支持されるのではないだろうか。