ほんだなぶろぐ

読んだ本、漫画、見た映画などについてのレビューを、備忘録を兼ねて行っております。

その壁は何を意味し、何のためにあるのか? 「街とその不確かな壁」

前回の長編小説である「騎士団長殺し」から6年ぶりに出た新作長編がこの「街とその不確かな壁」だ。「騎士団長殺し」でも感じたことだが、この作品は新作であると同時に集大成的な意味合いの強い作品だと思う。(騎士団長殺しのレビューはこちら) 著者のあ…

ごはんを作ったのはだれか?「おいしいごはんが食べられますように」から見る若手作家のジェンダー表現について

欧米圏で仕事をしているとけっこう困るのがメールを送る相手が女性なのか男性なのか意識しなければならないことだ。つまり英文ならMrを付けるか、Msを付けるか。ドイツ語ならHerrをつけるかFrauをつけるか。間違ってしまうと失礼だし、かなり面倒くさい。 加…

ごはんと一緒にコンテクストを食べて生きている「おいしいごはんが食べられますように」

芥川賞を受賞した本作、タイトルだけ見ると、登場人物がなにかおいしい食べ物を食べるグルメ小説、という印象を受けるかもしれない。はじめはぼくもそう思った。中身を読んでみると半分正解で、半分不正解だった。 確かにこの小説には登場人物がなにかを食べ…

「ファウスト」の「渇き」はいかにして満たされ、あるいは満たされなかったか

身も蓋もないまとめ方をするなら、「ファウスト」とは、「悪魔と契約してなんでもできるようになった老人が色気づいて美女を落とす」話だった。そうやってまとめてしまうと「結局のところ男は性欲からは逃れられない」みたいな単純な話に矮小化されてしまい…

おじさんは、遠きにありて思ふもの 「現代日本の開化」【日本人について思うこと】

「おじさん」という日本語について最近よく考えているのだけど、「おじさん」というのは不思議な言葉で、存外、定義が難しいように思う。「おじさん」は一般的には血縁関係にない中年男性を指すが、誰かに向かって「おじさん」と呼びかけるのは大変失礼にあ…

あなたのおうちはどこですか?「ことばと文化」 鈴木孝夫

イギリスからドイツに移り住んで、ほとんど知識のないドイツ語を勉強していると、日本語や日本文化の違いについていろいろと思うところがある。 例えば英語やドイツ語で「さようなら」を意味する「Good bye」や「Auf Wiedersehen」(アウフヴィーダーゼン)…

人生の勝ち組を目指して ゴリオ爺さん

Wikipediaによれば、フランスでは出世のためならどんな手段も使う野心家のことをこの小説の主人公の名前をとって「ラスティニャック」と言うらしい。なんとなく出世という言葉からは金持ちになることだったり、会社で重要なポストに就くことだったり、みたい…

『クララとお日さま』ネタバレなしレビュー 「愛することの「これまで」と「これから」について 」

「忘れられた巨人」以来、六年ぶりとなるカズオイシグロの新刊「クララとお日さま」。本作の語り手は人工知能を搭載したロボットの「クララ」。彼女は子どもの情操教育のために創り出された人工知能で、その身体を動かすためのエネルギー源は太陽光、つまり…

「椿姫」は女として生きるより人として死ぬことを選んだ?

椿姫を読むのはもう何度目かで、だいたいの筋は知っていたので、今回はマルグリットという女性はいったいどういう人物だったのだろうかという視点で読んでみた。 ものすごくかいつまんでこの小説のあらすじを説明するなら、この小説はパリで高級娼婦として暮…

わたしは「かもめ」

「かもめ」という戯曲はふたつの大きな謎があると思う。まずは、チェーホフはかもめを「喜劇 4幕」として書いたそうだが、筋として見ると全体的に暗くて救いのない話だ。読まれた人はこの戯曲のどこが喜劇なのか、と頭を悩ませるかもしれない。それともう一…

寄るべない不安「斜陽」

太宰治はぼくにとってながらく読まず嫌いの作家だった。いや、正確に言えば、10年以上前、学生時代に一度は読んでおかないと、と思ってまずは代表作と言われる「人間失格」を手にとって、これはなんという気障な男の話か、と大いに辟易してしまった。主人…

恋をすることの苦しさ、痛み、そして滑稽さ「ヴェネツィアに死す」

映画から入ってしまったからか、やはりどうしても映画と比較しながら読んでしまった。映画のほうは8割アッシェンバッハ、2割タッジオという感じだったけど、こっちは10割アッシェンバッハだった。もうずっとアッシェンバッハ。基本的なプロットは同じな…

「ベニスに死す」は美少年ではなくおじさんを愛でる映画?

タージオ役のビョルン・アンドレセンの美しさをフィーチャーした作品かと思いきや、タージオが出てくるのは(あくまで体感で)全体の2割程度。じゃぁ残りの8割は何を映しているのか、といえば、主人公のおじさん(アッシェンバッハ(ダーク・ボガード))の…

本物のまやかしとはなにか 「ティファニーで朝食を」

もっと若いときに読んだときは、ホリー・ゴライトリーという女性はなんてわがままで好き勝手しているのだろう、これほど自由奔放に振る舞っているのならばさぞ本人は楽しいだろう、と思って読んでいたが、それなりに大人になってから読むとまったく別の感覚…

信頼できない語り手が作り出す三つの世界「日の名残り」

カズオイシグロの大ファンで、著作はほぼ全て読んでいるのだが、その中でもひときわ秀逸だと思うのはやはり「日の名残り」だ。 品格の問題、叶わなかった恋の問題、イギリスの旅情、とにかくいろいろな側面で話す内容の多い作品ではあるが、今回はこの小説で…

自由の正体 「1984年」

全体的に重苦しくて救いがないし、ところどころで偏執的とも言える思想の垂れ流しのような文章が羅列されていて実によみづらく、眠気を催してくるものの、この小説のことは昔からずっと好きだった。今回も読みすすめるのはけっこうな苦行ではあったが、「今…

不条理を受け入れる 「ペスト」

新型コロナウイルスの影響で話題になっている「ペスト」。この本は日本だけでなく、ロンドンレビューオブブックスでも取り上げられており、イギリスでも話題になっているようだ。(ロンドンレビューオブブックス)https://www.lrb.co.uk/the-paper/v42/n09/j…

制約がドラマを生む「門外不出モラトリアム」

普段演劇というものに縁のない生活を送っているので、ぼくが演劇を語るなんておこがましいのだが、演劇というのはとかく不自由が多い。まず舞台。小説や映画、漫画だったら舞台は自由自在だが、演劇はそうもいかない。それに、時間の流れ。これも、ほかのフ…

もう一つの軸を持つということ ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー

著者のブレイディみかこさんは日本人女性で、アイルランド人の男性と結婚し、二人の間には中学生の息子がいる。彼女らは英国の都市、ブライトンに三人暮らしだ。ときたまネットで見かける彼女の記事はどれも目のつけどころが鋭く、自身の考えをわかりやすく…

我々は何から疎外されているのか  カフカ「変身」

コロナ禍の影響でにわかにカミュの「ペスト」が注目を集めているらしい。不条理が集団を襲った作品ということで「ペスト」は有名だが、カフカの「変身」は、不条理が個人を襲った作品として有名だ。 主人公、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目を覚ます…

矛盾してるけどずっと愛するだろう マリッジストーリー

あのスターウォーズのアダム・ドライバーが主演か、ふーん。という程度の期待値の低い状態で見たのだけど、個人的にすごく心を打つものがあったのでレビューしたいと思う。 のっけからネタバレしているので未視聴の方はご注意願いたい。 『マリッジ・ストー…

本音を言わない人たち「高慢と偏見」

再読して改めて感じたが、この小説の魅力は極めて繊細で、驚く程難解だ。なにしろ、登場人物たちはストレートに自分の感情を表現しない。 村上春樹が小説の創作について、「優れたパーカッショニストは一番重要な音を叩かない」と表現したが、その表現は言い…

そこに必然の恋はあるか? 「国境の南、太陽の西」

「僕たちの恋は必然的なものだ。だが、偶然の恋も知る必要がある」哲学者 ジャン=ポール・サルトル フランスの哲学者サルトルが内縁の妻である、同じくフランスの哲学者ボーヴォワールに話したと言われているのがこの台詞だ。これを読んでなんたる浮ついた気…

許されないすべての人間への赦し「失くした体」

はっきり言ってこの映画の後味は悪い。一般受けとは程遠い映画だ。80分間通して、画面はゴミだめ、通気口、地下鉄の線路などを写すために暗く、ラストにも救いがない。見終わったあと、これはいったいなんだったのか、とガッカリする。期待していたようなエ…

文学の時代性、地域性について「うたかたの日々」

昔、優れた文学というものは、時代や地域に関係なくあらゆる時代のあらゆる地域の人間にとって心に響くものだとおもっていたが、最近はその考え方が狭量に過ぎたと思う。ある時代、ある地域に生まれた人間が書いた小説は好むと好まざるとによらずその時代と…

デタッチメントからコミットメントへ「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」

村上春樹は「風の歌を聴け」でデビューし、2作目の「1973年のピンボール」を書いてから3作目の「羊をめぐる冒険」を書く。いわゆる鼠三部作と呼ばれる最初期のころの話だが、村上が二作目と三作目の間、つまり「1973年のピンボール」と「羊をめぐる冒険」の…

「人間失格」あるいは「斜陽」と「ヴィヨンの妻」から見る太宰

太宰治の一番有名な作品といえば「人間失格」ではないかと思う。学生時代、そんな思いからこの本を手に取ったが、あまりにもナルシズムの強い文章に辟易して途中で投げてしまった。それ以来ぼくのなかで太宰治は苦手意識があって、「人間失格」以外の作品を…

NETFLIXオリジナル「不自然淘汰」がエモい

貧乏人の悲惨さが自然の法則ではなく、制度によるなら我々の罪は重いIf the misery of the poor be caused of the laws of nature, but by our institutions , great is our sin.チャールズ・ダーウィン 2003年にヒトゲノムが解析され、当時は大いに話題にな…

神は味方? CLIMAX

この映画からなにか教訓のようなものを得ようとしてみたのだけど、たぶんそんなことをすれば、単純にLSDは怖い、くらいの警察の標語みたいになってしまうような気がする。でも、無粋を承知でこの映画の持つメッセージについて考えてみようと思う。 まず、ぼ…

流れの滞留する場所 「レキシントンの幽霊」

この短編集の全体的なイメージは「滞留」だ。 まずは、レキシントンという街について考察してみたいと思う。「レキシントンの幽霊」の舞台になったレキシントンはケンタッキー州にある人口26万のレキシントンではなく、マサチューセッツ州ボストン郊外にある…